現役引退後、ラグビー発展に向け本格的に動き出す

5歳のとき、両親のすすめでラグビーをはじめた。生まれ育った大阪にはラグビースクールがたくさんあり、自然と楕円球に親しんだ。みんなで何かをやることが楽しくて、夢中でプレーするうちに、友達を大事にする、尊敬するといった、ラグビーの精神が備わっていった。

高校、大学と活躍した後、東芝に入団して日本代表に。15年のワールドカップではベンチ入りを果たせなかったが、対戦相手の研究や、700人もの関係者の応援ビデオ制作などでチームを支えた。廣瀬さんの地道な努力は、「ブライトンの奇跡」と呼ばれた南アフリカ戦の勝利に大きく貢献した。この金星で日本大会への不安がかなり払拭されたという。11年のワールドカップでは、日本開催が決まっていたが、日本代表はいい戦績をあげることができず「日本で大会を開いても盛り上がるのかな、と不安が大きくて。だからこそ15年は勝たなあかん、と必死に頑張ったところがありました」

ドラマ出演も果たした。「すごくいい経験になりました。怖かったすけど新しい世界に行けました」

16年3月に現役を引退して以降、ラグビーの発展に向けて本格的に動き出した。まず取り組んだのが選手会の発足だ。日本ではラグビーは企業スポーツの延長上という位置付けのため、選手を束ねる組織がなかった。「一つの組織として、協会の人と対等に話し合える仕組みが必要でした」。お金のこと、ケガの保険、家族を試合に招待できるかどうか。そうした選手の環境を一つずつ改善していかないと「子供たちが日本代表になりたい、と思ってくれないですからね」。

19年2月、廣瀬さんはそれまで温めていた構想の実現に向けて動き出す。国歌斉唱プロジェクト「スクラムユニゾン」だ。アジアで初めてのワールドカップ開催ならばアジアでやることで何か価値が増すことをやってみよう、と思いついた。「歴史的な背景からイングランドの人はスコットランドやフランスの国歌を歌いたいと思わないし、ニュージーランドの人もオーストラリアの国歌は歌いたくない。でも日本人ならそれができると思いました」

賛同したくれた7人ほどで、国歌を歌う映像を作りyoutubeにアップ。運動のうねりは徐々に全国へと広がり、東京・府中や北九州の公開練習では、選手入場の際に集まった市民が国歌斉唱で大歓迎した。その光景を映した映像がネットで拡散し、一気にムーブメントが加速した。廣瀬さんは選手とともに入場するマスコットキッズにも歌を練習するようお願いした。そして本番。岩手・釜石でのウルグアイ対フィジーの試合の後、ウルグアイの主将は「まるでホームにいるような気持ちにさせてくれた」とコメントした。

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