――海外での仕事では、装いもその土地の文化に同化することが必要だったのでしょうか。

「かなり上の先輩で元三井物産社長、後に国鉄総裁にもなった石田礼助さんは戦前、ニューヨークの拠点長をやっていたような人。当時の写真を見たらニューヨークのゴルフ場でニッカボッカーズ(膝下丈ですそがくくられたズボン)をはいてプレーしている姿が映っていました。日本人としてばかにされないように、ゴルフでも目いっぱい正装していたのでしょう」

米国駐在の10年間、服装もパラダイム転換

――そうしたビジネスの現場に90年前後から新しい風が吹き始めました。

「ニューヨーク、ワシントンと87年から10年間、アメリカに駐在していました。東西冷戦が終わり、通信技術の民生用開放で今日のインターネットの仕組みがみえてきて、IT革命が吹き荒れました。米ゼネラルエレクトリック(GE)とかゼネラル・モーターズ(GM)ではなく、今のグーグルなど『GAFA』の先端にいるような、まったく違う経営者たちと向き合わないといけなくなったんです」

「教養は服にもにじみ出ます。そして装いは相対する人との関わりで磨かれるものではないかな」

――新興企業のトップにビジネススタイルの変化を感じましたか。

「ワシントン郊外にアメリカオンラインのようなIT関連企業が次々進出してきました。30~40代のIT企業のトップはTシャツ&ジーンズ姿でビジネスシーンに現れたのです。僕は三井物産のワシントン事務所所長として本社からきた役員らを案内する役割でした。背広なんて着ない、ネクタイも締めないという世界観に対し、かたや本社の人間は『どうしてTシャツで出てくるんだ』という空気感で。自分がばかにされているんじゃないかと思ったかもしれません。僕はこれが時代ですよって苦笑いしていたことを思い出します」

――IT経営者はプレゼンスタイルでも影響を与えましたね。

「スティーブ・ジョブズさんのように、経営者がTシャツとジーンズで演壇に立ち、多くの聴衆にプロジェクトを説明する姿がまったく違和感を与えない、むしろかっこいい、みたいな雰囲気に変わり始めました。冷戦後の世界のパラダイム転換を服装までもが象徴しているんじゃないかという具合にね。僕は冷戦後の世界を西へ東へと動き回っていて、コカ・コーラに象徴される食べ物やTシャツとジーンズが東側を席巻していくさまを見つめていた。服装でもこだわりみたいなものが崩れ、新しいスタイル、新しい装い観みたいなものが生まれてきたと感じていました」

この日はカジュアルなシングルジャケット。「なぜか僕にはダブルのイメージがついているんですよね」

――ご自身は米国駐在をへてスタイルが変わりましたか。

「現地を率いていたときはきちんとした格好を気にしていましたけど、正装して仕事をしていたという感じはありませんでした。適度にラフでジャケットとパンツが多いし、今でもそうです。多摩大学の学長も務めていますし、企業との仕事も多いので、極端にカジュアルな服装はできません。いうなれば、カジュアルなフォーマリティーというスタイルかな」

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中身のない人間が軽薄なスタイルをしても笑われるだけ