10月5日、文化祭の後片付けの日、再び大規模な衝突が起こる。生徒約500人が体育館で集会を開き、山内校長代行の参加を呼びかけたが応答がなかった。約250人が中庭に座り込み、シュプレヒコールを始めると、再び機動隊が校内に導入された。

一部の教員が「絶対に手を出すな」と生徒たちに呼びかけて、機動隊の前でスクラムを組む。生徒を守るためだ。しかし抵抗むなしく、機動隊は次々と生徒をごぼう抜きにしていく。機動隊員もそんなことはしたくなかったのだろう。なかには生徒に「よく頑張った」「もう大丈夫だよ」「帰りなさい」と声をかける機動隊員もいた。

独裁者と生徒の対決

10月7日から無期限の学校閉鎖。ロックアウトである。11月12日、市ケ谷の私学会館で、このままでは卒業が危うい高3の学年集会が開催され、そこに山内校長代行も出席した。大混乱の末、山内校長代行に、全校集会への出席を半ば暴力的に約束させる。

11月13日、ロックアウトが解除され、全校集会が開催される。その2日目、小雨降る校庭で、生徒たちのフラストレーションは頂点に達する。突然現れて勝手にアジテーション演説を行って去って行った生徒が、学校を出たところで逮捕されたという情報が伝えられたのだ。

激高した生徒たちにもみくちゃにされ、山内校長代行は完全につるし上げられた。最後はなすすべもなく、「私は今日限りやめます」と言った。「革命」の瞬間だった。グラウンド全体に歓声が響き渡った。

生徒たちが実力行使で学校側の体制をひっくり返すのは、全国の高校紛争の中でも特異な例で、翌日の朝刊では「高校生パワー」「校長代行が全面降伏」などと報道された。

紛争後、山内校長代行が制定した生徒心得は破棄された。服装も髪形も自由になった。授業中以外は校外に出歩くことも、早弁も自由。政治活動も自由。生徒たちが自らそう決めたのである。

そして「自由とは自主・自律」「誰かに定められた規律によらず、自ら定めた規律に従うときのみ、自由である」「麻布の自由は決して学校が保障している自由ではない。生徒たち自身が保障している自由である」という思想が確立した。

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未熟な自由と民主主義
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