近所の小学校、中学校を経て、茨木高校に進学することになります。社宅は駅の近くにあり、小中高と、自宅を起点にするとほぼ等距離でした。とても優等生とはいえません。小学生から中学生にかけては、成績がさえなかったんですよ。小学校ではよく居残りを命じられましたね。何しろ小学校時代の担任だった宮崎先生が、茨木高校に合格したと聞いて「うそでしょう?」と驚いたくらいですから。

川端康成や大宅壮一らを輩出し、旧制中学校以来の伝統を持つ茨木高校は、大変自由な雰囲気でした。楽しい3年間を過ごし、自立心を身につけることができました。

「連日学校に泊まり込んで巨大なマスコットを作ったことは忘れられません」と振り返る

高校1年で習った英語の田中先生とは、今でも交流があります。田中先生が勉強の手ほどきをしっかりしてくれ、そのやり方は実に新鮮でした。われわれ生徒に対してリスペクトの念をもって接してくれるのもありがたく感じたものです。最近も同窓会で、田中先生にお会いすると、「頑張りなさい」と温かい声をかけてくれました。

田中先生の影響もあり、高校1年生の時は結構勉強しましたね。おかげで全国模試の点数もそれなりでした。ただ2年生以降は遊んでしまい、成績も下がってしまいましたが……。人から強制されてやることが嫌なたちです。勉強でも何でもいったん自分でやろうと決めたら、懸命に取り組むのですが。塾にも通わず、ゆったりした時代でした。

家庭では母が病弱なため、食事を作ったり、家の中のことを手伝ったりしていました。父は仕事が忙しくて、ほとんど家にいませんでしたね。こうした家庭環境もあって、「自分の道は自分で切り開くもの」という思いが自然に身につき、それが自由な環境で過ごした高校時代に明確になったのだと思います。

伝統ある学校行事に熱中し、自由を謳歌。同級生からは刺激を受けた。

茨木高校では、東京大学医学部に進学し理化学研究所で研究する池川志郎さんなど、学者になった同級生が目に付きます。ノーベル賞の受賞候補者もいます。官僚の道を選んだ者も結構いました。産業界に目を向けると、パナソニックの宮部義幸専務執行役員とは同じクラスでした。

ちなみにパナソニックの津賀一宏社長は高校の1年先輩で、私の姉と同級生。うちの姉は秀才でならし、周囲からは「お姉ちゃんは優秀なのにねえ……」といわれたものです。当時は比べられて面白くはありませんでした。ただ今振り返ると、当の本人はそれほど気にはしていなかったとも思えるのですが。

茨木高校には、北摂山系の妙見山を徹夜で往復する夜行登山行事や、体育祭など伝統ある行事が目白押しでした。

3年生の体育祭では、マスコット委員長を務めました。連日学校に泊まり込んで、巨大なマスコット(張りぼての人形)を作ったことは忘れられません。山から材料となる竹を切り出して、背負って学校まで運び、組み立てるのです。3年生の夏まで、こうした行事に熱中していました。だから、受験勉強を始めたのは3年生の秋からです。

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