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キャリアの原点

訪問看護のナイチンゲール 道は姉の看取りで始まった マギーズ東京 共同代表理事 秋山正子さん(上)

2019/9/3

「もともとリーダーを志向していたわけではないというのも、このようなリーダー像になった理由の一つでしょう。でももう一つの理由は、訪問看護やマギーズでの仕事は、決められた手順で行えばよいわけではないということです。だから、私と一緒に働く若い人にも自分で考え自分で行動できる人になってほしいと思って、あまり多くを語らないリーダーになったような気がします」

――関西で看護師としてスタートし、すぐに訪問看護の道には進まなかったのですね。

「今では訪問看護もすっかり根付きましたが、実は訪問看護が制度として認められたのは1992年に老人保健法が改正された時なのです。それまでは訪問看護には診療報酬がつかなくて、往診する医療の補助的役割とか、保健所が看護師を臨時雇用してサービスとして訪問指導をする程度でした」

■姉のがんで訪問看護の大切さを痛感

「私は秋田県出身で73年、聖路加看護大を卒業して看護師になりました。最初は日本バプテスト病院で、産婦人科で看護師、助産師としてキャリアをスタートしました。その後、大阪大で看護を教える立場になりまして、学生の臨床実習の指導を4年ほどしていました。結婚、出産を経て京都で働いている時に、訪問看護のニーズを痛感する出来事が起きました。2歳上の姉ががんで余命わずかとなったことでした。89年から90年、ちょうど昭和から平成に移り変わるころのことです」

――訪問看護のおかげで、自宅で最期を迎えられたのですね。

「姉の自宅まで片道2時間かけて訪問してくれたのが、在宅医療の先駆者だった医師の佐藤智先生でした。姉は夫や子供がいる家でいつものように暮らしながら最期の日々を送ることができました」

「姉の姿を見て、訪問看護の可能性と大切さを痛感しました」

「姉の姿を見て、訪問看護の可能性と大切さを痛感しました。それで、大阪の淀川キリスト教病院で1年間、訪問看護を勉強しました。その後、ちょうど夫の転勤があり東京に引っ越したので、佐藤先生のもとで訪問看護の道に入ったのです。92年、訪問看護が制度としてスタートした年でした」

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