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どんな難局でもひるまず正面突破――。「コンピューター付きブルドーザー」の異名をとった田中角栄には、そんなイメージが強烈だ。しかし、通商産業相(現経済産業相)時代と首相時代の2期にわたって秘書官を務めた元通産官僚、小長啓一氏によれば、意外にも角栄は「引き」を心得た政治家だったという。側近などの証言をまとめた新刊『田中角栄のふろしき』(日本経済新聞出版社)で紹介されたエピソードから、リーダーに必要な条件を7回連続で学ぶ連載。3回目は「引く」技術。 =敬称略

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神社の境内にはたいてい一対の狛(こま)犬が置かれている。神聖な境内を汚れから守る門衛だが、その口元を見てほしい。一方が「阿(あ)」、そしてもう一方が「吽(うん)」。この「押し」と「引き」が一対となって初めて結界が成立する。いずれか一方ではダメというわけだ。

人も同じ。「押し」だけでは人はついていかない。とりわけリーダーには相手の言い分に耳を傾け、受け止める度量が求められる。 角栄もそうだった。まずは相手の話を聞き、言い分を通す。例えば、日米繊維交渉のときがそうだった。

角栄は1971年、通産相に就任するがこのとき、最大の懸案とされたのが日米繊維交渉だった。大平正芳、宮沢喜一と2代の通産相が必死で取り組んできたものの、日本に繊維製品の輸出自主規制を迫る米国に対して、日本は有効な手はずを打ち出せずにいた。交渉は暗礁に乗り上げつつあり、もはやこれ以上、放置できないところまで来て角栄にバトンが回ってきた。

就任早々、最大のヤマ場

通産官僚の見立てでは、日米繊維交渉の最大のヤマは角栄の通産大臣就任の1カ月後、9月に予定されていた日米貿易経済合同委員会だった。これをどう乗り切るかがまずは最大のポイントだった。

このとき、通産官僚が最も警戒したのは、角栄が「日米繊維交渉はこれまで長い時間をかけてやってきた。しかしケリがつかなかったんだ。交渉戦術を180度変えろ」と言い出すことだった。

日米繊維交渉は大蔵省(現財務省)出身で前々任の大平正芳、知米派で経済通の前任の宮沢喜一ですら解決できなかった。これまでの戦術に問題があるといわれても仕方がなかった。ただし、あと1カ月あまりしかないというのに「新しい戦術を考えろ」といわれても時間がなさ過ぎた。

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