川田裕美アナ 下手でも来た球は絶対によけない
『この差って何ですか?』(TBS系)でMCを務めているほか、多くのバラエティ番組にゲスト出演して、親しみやすいキャラクターが人気を集めている川田裕美アナ。2006年から15年3月まで10年間、大阪・読売テレビのアナウンサーとして活躍後、フリーになって拠点を東京に移した。転機のきっかけやアナウンサーとして心がけていることを聞いた。
「フリーになるという決断は、大きなチャレンジでした。小心者ですし、もともとチャレンジ精神が旺盛だったわけではありません。
初めて『何かに挑戦したいな』と考えたのは、アナウンサーを目指したときですね。倍率が高くて雲をつかむように難しいので、家族には反対されました。でも、可能性が0%でないのなら、挑戦しないと、もったいない気がして。
入社1年目から『大阪ほんわかテレビ』という情報バラエティ番組で笑福亭仁鶴師匠や間寛平さん、桂南光師匠をはじめとする関西の重鎮の方々と共演させていただいて、鍛えてもらいました。最初は新人の自分がじゃまをしてはいけないと思い、ほとんどしゃべれないことも。すると局の先輩に『いい球を投げてもらっているのに、見逃している』と言われたんです。下手でもいいから、来た球は絶対によけないのが大事だということを、そこで学びました」
転機1:『ミヤネ屋』に出演、宮根誠司との出会い
入社6年目の11年から、産休に入った森若佐紀子アナウンサーに代わり、同じように朝日放送の局アナからフリーになった宮根誠司が司会を務める『情報ライブ ミヤネ屋』に司会として抜てき。全国ネットの人気番組に起用されたことで、知名度が上昇した。14年に番組代表として大阪マラソンでフルマラソンに初出場して完走したときには、疲労困憊しながらも現場からリポートする根性を見せて、大きな反響を呼んだ。
「読売テレビに入社したときは、ずっと会社にいると思っていました。外で挑戦してみたいという考えが芽生え始めたのは、退社する1年半くらい前からですね。宮根さんが先を見据えて常に新しいことに挑戦されている方だったので、『ミヤネ屋』で毎日一緒にお仕事をしていて刺激を受けました。
宮根さんに初めて相談したときは、『もうちょっとこの番組で頑張ってみてもいいんじゃない』とやんわり言われたのを覚えています。今考えたら、まだ気持ちが揺れていたのを見抜かれたんだなって。
宮根さんには『フリーになるというのは本当に大変だからね』と何度も言われました。局アナは会社に守られていて、ひとつの失敗をしてしまったとしても、次の番組が用意されてチャンスを与えられるんですよね。だから、タレントさんと同じ番組をやっていても、自分は守られているんだなというのが、ありがたくもあり、少し申し訳ないような気持ちがあって、みなさんと同じ場所に行けていない感覚がありました。
そこからは、今まで通りに目の前の仕事に一生懸命取り組みましたが、1年半経っても挑戦したいという気持ちがなくならなかったので、このまま諦めたら後悔するなと決心しました」
転機2:退社してフリーへ、活動の拠点を東京に
15年3月に読売テレビを退社。皆藤愛子・高見侑里ら多くの女性フリーアナウンサーが所属するセント・フォースに移籍。15年4月の特番から『1周回って知らない話』でアシスタントを務め、翌年9月から東京での初のレギュラー番組となる。
「せっかくフリーになるなら、まだ見たことがない場所で挑戦したいと思いました。厳しいだろうなと思いましたが…。
宮根さんに2回目に言ったときは、もう気持ちが固まったんだなと感じたのか、すんなりと『何でも相談に乗るから』と言ってくださいました。宮根さんからのアドバイスで『今までお世話になった方々を大事にしたほうがいいよ』と言われて、ここまで育ててくれた会社が一番感謝を伝えないといけない場所だったので、事務所探しとか次の番組探しではなく、時間をかけて社内の方々と話し、社長にも直接伝えました。
会社を辞める時点では、事務所など何も決まっていなかったので、自分でアナウンサー事務所を調べて、今の事務所の方々と会ったのが、退社する1カ月前で、ぎりぎりでした。普段から私は、遠い将来どうなるかはあまり考えないようにしています。先を決めすぎないほうが、柔軟に決断できる気がしますね。
フリーになって最初のうちは、大阪時代にお世話になっていた芸人のみなさんに助けていただきましたね。東京での最初のレギュラー番組『1周回って知らない話』で東野幸治さんとご一緒させていただきましたが、足を引っ張ってはいけないと不安になっている私を見て、『そんなに考えすぎず、もっと楽にやろう』と笑い飛ばしてくれました」
最近では、16年に『踊る!さんま御殿!!』などのバラエティ番組にゲスト出演した折に披露したスキップが「衝撃的に変」と注目を集め、『アメトーーク!』の「運動神経悪い芸人」でも活躍している。
「運動神経が悪いというマイナスの面を笑ってもらうことになるとは、人生って、本当に分からないですね。声をかけていただける層も今までとは変わって、最近は幼稚園や小学生くらいの子どもたちに、『スキップ、私はできるよ』と言われたりもします(笑)。
最近は、プライベートの時間も楽しめるようになりました。フリーになってパーソナルな部分を話す番組も増えていますし、SNSで趣味や好きなものについて発信するようになりました。昨年の10月には、『あんことわたし』(ぴあ)という初めてのエッセーを出させていただきました。あんこが大好きで、ゆであずきの缶詰を冷蔵庫に常備してるんですけど、宮根さんに指摘されるまで、変だと思ってませんでした(笑)。
人を傷つけることや家族が悲しむことはしないと決めていますが、それ以外は制限をかけずに、『アナウンサーだから、これはやらない』というような肩書にしばられることなく、これからも自分が興味があることにはなんでも挑戦したいと思ってます」
(ライター 高倉文紀)
[日経エンタテインメント! 2019年5月号の記事を再構成]
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