さて、チャールズ皇太子をお迎えした時の盛田氏は、クラシックな右下がりのタイを着用していました。スリーピースで胸元が狭い服装に合わせて、ノットが右上がりになる縞を選んだようなのです。実際に写真を見ると、ノットとブレイドの縞柄がバランス良く映っています。ほんの一例ですが、スーツ・スタイルと縞柄タイとの相性を知り尽くしたこのいでたちに、完璧にマスターされた西洋のファッションセンスが垣間見えるのです。
■「ポパイ」を愛読、自宅ではジーンズにトレーナー
もっとも、世界中を飛び回る盛田氏のワードローブは、奥様である良子さんの手によって整えられていたという事情もあります。盛田氏の着こなしが評判だったことから「ぜひあなたのスタイリストを私にも紹介していただきたい」と知り合いの経営者から電話がきたほどでした。
長女の岡田直子さんがこんなことを明かしてくれました。「ファッションが大好きだった母は、父のスケジュールを見て、英国王室と合う時はこういうスタイル、と様々な状況を考えながらコーディネートをしていました」。一度に数カ国を巡り、毎晩ブラックタイという時ですら、いつも同じ服装にならないよう気を配ったと言います。かような奥様の審美眼と、盛田氏自身の知見とセンスが、日本経済界希代のダンディーを生み出したと言えるでしょう。
そんな盛田氏が忙しさから解放されて自宅でくつろぐ時は、いつもジーンズにトレーナー姿だったといいます。「普段は買い物などしない父でしたが、夏休みに軽井沢へ行くと、『ジーパンを買いに行こう』と私を誘い、旧軽銀座で楽しそうに物色していました」
著名写真家の十文字美信氏が撮影した私的なポートレートでは、ジーンズにトレーナー姿の盛田氏の姿が残っています。手にはソニーのポータブルTV。「大先生に撮影していただく写真なのに、いつも家で着ていた普段着でした」(直子さん)。でも、とてもそうは思えません。普段着でも、こんなにダンディーなのです。
盛田氏は若者ファッション誌「ポパイ」を愛読していました。意識するかしないかにかかわらず、盛田氏は若者たちのライフスタイルやファッションの感覚を、いつの間にかマスターしていたのかもしれません。このポートレートも私的なものでありながら、若い世代に向けて「ポータブルTVをこう使ってもらいたい」という若々しいメッセージを込めているかのように見えます。
だって、若者が熱狂し、社会現象ともなったウォークマンの生みの親なのですから。この世代のスタイルを我が物としてしまうことなど、驚くには及ばないのかもしれませんね。

服飾評論家。1944年高松市生まれ。19歳の時に業界紙編集長と出会ったことをきっかけに服飾評論家の元で働き、ファッション記事を書き始める。23歳で独立。著書に「完本ブルー・ジーンズ」(新潮社)「ロレックスの秘密」(講談社)「男はなぜネクタイを結ぶのか」(新潮社)「フィリップ・マーロウのダンディズム」(集英社)などがある。

THE NIKKEI MAGAZINE 4月誕生!
Men's Fashionはこの4月、あらゆるビジネスパーソンに上質なライフスタイルを提案するメディア「THE NIKKEI MAGAZINE」に生まれ変わります。限定イベントなどを提供する会員組織「THE NIKKEI MAGAZINE CLUB」も発足します。先行登録はこちら