「いい人なのだけど、なぜか疲れる」、こんな「一見、いい人」はあなたの周りにいないだろうか。人当たりが良く欠点も見当たらないため、自分の感情を周りに共感してもらえず、自分が消耗してしまう――。こんな対人ストレスのメカニズムを著書『「一見、いい人」が一番ヤバイ』で解き明かしたのが、自衛隊で心理教官を務め、退官後は一般の人を対象に心理カウンセラーとして活動する下園壮太さん。今回は、「一見、いい人」に悩んでいる人は、その人からなぜ逃げられないのか、そしてどんな人が「一見、いい人」に悩むのかを下園さんに聞いていく。
◇ ◇ ◇
編集部:第1回「ホントは怖い『一見、いい人』 元陸自心理教官の教え」では、「一見、いい人」に悩む人のメカニズムを解説していただきました。また著書には、「一見、いい人」との付き合いには、ほどよい心地よさがあって、その感覚はほどよく暖かいがために、自分が消耗してしまっているのに気づかず、逃げ遅れてしまう、と書かれていました。確かにそうだと思う半面で、「苦しいなら、(その人から)逃げればいいのに」とも思いました。「一見、いい人」に悩んでいる人は、その人からどうして逃げ遅れてしまうのでしょうか。
下園さん:そこには「理性と感情のバランス問題」があるのです。
人間というものは、日々、常に「理性」と「感情」の間で揺れ動きながら現実を調整しています。ポイントは、理性と感情は、そもそも、物事の捉え方がまったく異なるということです。
例えば、「この人といるとイライラする」というテーマを理性目線で見ると、「第一印象は良かったから、今、欠点のように見えているのは相手のほんの一部かもしれない」「この人の下にいると将来的にもメリットがある」「ほら、いつまでも悩んでいると仕事が止まってしまうぞ」というふうに客観的事実を積み上げ、総合的な見方が生まれます。
一方、感情目線は、「すぐ、そば」のものを見つめます。感情は、「自分の命を守る」という根源的なミッションを担っているため、どんなリスクも見落とすまい、と隅々まで照らし出すように目をこらすという性質があるのです。
「あのとき、あんな発言をした」「信用できないかも」「本当は自分を軽蔑しているのかも」と、通常は見落としそうなリスクまで拾い上げようとします。最初は相手に対していい印象を持っていたとしても、感情目線は、だんだん、悪い印象へと後退させた見方を提示してくる。理性と感情との分裂が大きくなって、葛藤が起こります。
