女性酒サムライが切り開く 外国人向け酒蔵ツーリズム
世界で急増!日本酒LOVE(11)

「酒蔵ツーリズム」という言葉を耳にする機会が増えた。全国各地の酒蔵を観光資源として地域活性化につなげる取り組みのことで、2013年に観光庁の呼びかけで酒蔵ツーリズム推進協議会が発足した。そのメンバーでもある中村悦子さんは外国人向け「SAKEツーリズム」の草分け的存在だ。
米国でIT企業に勤務していた中村さんは日本に帰国して、東京・赤坂のすし店で衝撃を受けた。「『開運大吟醸 波瀬正吉』(当時の名称)というお酒を飲んで、日本酒がこんなにおいしいなんて!とすごく驚きました。もう大興奮でした」と当時を振り返る中村さん。日本酒に開眼し、酒イベントに参加したり、積極的に全国各地の蔵見学にも行ったりするようになった。
そんな中、中村さんは一つの疑問を抱く。「日本人でも自分で蔵見学の申し込みをして、移動まで計画するのは結構大変。ましてや外国人はどうやって蔵見学に行くのだろう? 言葉も難しいし、苦労するのだろうな…」
米カリフォルニア州で生活していた時、中村さんは地元のワイナリーを頻繁に訪れていたという。日本の酒蔵でもワインツーリズムのような仕組みができないか、と考えた。蔵元と外国人をつないで、「外国人の日本酒ファンを世界中に増やしたい」と強く思うようになった。

そこで08年、中村さんは通訳案内士の資格を取得。さらに、日本酒の専門的な英語表現スキルを身につけることにも注力。日本酒造青年協議会が「酒サムライ」と認めたジョン・ゴートナー氏が英語で開催する日本酒専門家のためのセミナーコースも手伝った。09年からは「酒蔵ツーリズムを確立し、海外における日本酒、日本食、インバウンド観光の拡大に貢献する」ミッションを掲げ、海外の日本酒ファン向けに「Sake Tours(当初はSake Brewery Tours)」(酒蔵ツアー)をスタートさせた。
ツアーにはこれまで米国・オーストラリア・シンガポール・ブラジルなど11カ国から参加している。日本酒に興味がある外国人はもちろん、海外のメディア関係者や日本酒の輸出業務に携わる外国人の酒専門家向けにもツアーを開催。さらに大使館向けなどカスタム蔵元ツアーも実施している。

「お客様の約4割はリピーターです。中には毎年参加する方や、『今度はこの蔵に行きたい!』と蔵をリクエストしてくる方もいらっしゃいます」と中村さん。以前、SAKEツアーだと知らずに申し込んだ、お酒を飲まない79歳の外国人客もいた。だが、5日間のツアーで日本酒が飲めるようになり、最終的には日本酒の大ファンになって帰国したそうだ。さらに彼の日本酒体験ツアーの動画を見て、彼の友人からもツアーの問い合わせがきたという。外国人客のSNS(交流サイト)を通して、蔵元での体験が世界中に広がっているのだ。
酒蔵ツーリズム活動の功績が認められ、中村さんは13年に「酒サムライ」に任命された。「今思うと、旅行業界のこともよく知らないのに、『日本酒が好き!その魅力を海外に伝えたい』というパッションだけで、よく突き進んだなと思います」とほほ笑む中村さん。今では国内外の様々なメディアで中村さんの酒蔵ツアーのことが取り上げられている。
酒造りは毎年冬に行われるので、11月から翌年2月にかけて酒蔵ツアーのラッシュを迎える。訪日外国人の数は毎年増加し、日本酒に興味を持つ在日外国人も増えているので、中村さんたちのような酒蔵ツーリズムの仕事は年々拡大している。
日本酒文化の魅力拡大や地方活性化につながり、とても順調そうに見える。だが、中村さんは「この時期、私たちより忙しいのは蔵元。負担をかけないように酒蔵ツーリズムを推進していかないと」と安直に手を広げすぎることには慎重だ。

地方の小さな蔵元では特に、作り手の人材不足が深刻だ。外国人観光客の中には、突然やって来て、今から見学したいという人もいるという。「ただでさえ骨の折れる酒造りなのに、蔵元が酒造りに専念できないということが起きてはならない」と中村さん。
中村さんは「必ずしも蔵の中を見学しなくてもいいのでは」と考える。大事なのは「酒蔵ツーリズムを通して、外国の方に日本酒やその土地のファンになってもらうこと。日本の魅力を感じてもらうこと」だからだ。
例えば明治元年創業の小さな蔵元・渡辺酒造店(新潟県糸魚川市)にツアーで訪れた時、外国人参加者は蔵に入らなくてもとても感動したという。この蔵は地元の根知谷地区で、原料米を自社栽培と契約栽培して酒造りまで取り組んでいる。毎年4~9月まで田んぼで酒米を育て、10~翌3月まで蔵にこもって酒を醸す。
この蔵ではツアー客を真冬の田んぼに連れて行って、「ここが我々が米を育てている場所です」と土地の風土などを説明し、その後テイスティングをした。「テロワール(土壌や風土など)を語れる日本酒」に魅力を感じた外国人レストランオーナーなどが、とても感動していたという。
「蔵訪問だけでなく、地域の情報館や地元のお酒をテイスティングできるスペース、特産品が購入できる物産館など、蔵元以外でも英語でテロワールに触れるスポットがあれば、外国人もまたその土地に来たくなるのでは」と中村さん。蔵だけ孤立するのでなく、地域ぐるみで面でつながった酒蔵ツーリズムなら、継続的に観光客が訪れるのではないかと考えている。

中村さんが目指すのは、「海外で日本食以外の料理と日本酒が楽しまれる未来」だ。「パリでミシュランの星を獲得したレストランに行った時、日本酒が置かれていて本当にうれしかった」と話す中村さん。
そのためには、より多くの外国人観光客とメディア関係者、飲食専門家に深く日本酒の魅力を伝える必要がある。だからツアーでは、イタリアンなど和食以外の料理と日本酒のペアリングもできるだけ1回は盛り込む。
ツアーを通じて、外国人に人気の蔵や銘柄なども分かってくる。日本人には人気でも、外国人には「甘すぎる」という日本酒もある。長年の経験を生かして、満足感の高いツアーを企画しながら、「日本酒全体の価値をもっと引き上げていけたら」と中村さんは考えている。

中村さんは以前、米カリフォルニアのナパバレーで有名ワイナリーを経営する投資家を、日本の酒蔵に案内したことがある。その時、「ワインの質が上がると、ブドウ産地の地価も上がる。日本では人気のある日本酒の酒米産地は地価が高いのか?」と質問された。「いいえ」と答えざるを得なかったのが、とても残念だったという。
ワインとブドウ産地の価値が上がって、ワインツーリズムで街全体の価値を引き上げる。同じことが日本の酒蔵ツーリズムでもできるはずだと、中村さんは信じている。酒蔵ツーリズムは日本酒や日本文化、地方の未来まで変えられると期待して取り組みを続けていく。
(GreenCreate 国際きき酒師&サケ・エキスパート 滝口智子)
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