みうらじゅん 師匠・糸井重里氏からの破門で見えた道編集委員 小林明

――直接の売り込み活動ですね。

「黙り込んでいる糸井さんに向かって、『この曲は失恋して作りまして……』なんて曲の解説を延々としゃべり続けました。途中で大手企業の方々が来て会議が始まり、糸井さんは『少しボリュームを下げれば?』とおっしゃった。でも『切れ』とまでは言われない。だから僕は音量を少し下げただけでずっと曲を流し続けた。で、ようやく会議が終わり『次の曲ですが……』とまた解説を始めたら、さすがにあきれ顔の糸井さんから『あのさ。おまえ、何か大きな勘違いをしているんじゃないか?』と注意を受けました。やっぱり音楽事務所ではないですからね」

「ガロ」で漫画家デビュー、糸井さんがボツ復活を仲介

2015年11月、みうらさん(左)の出版記念イベントで糸井さんと対談(東京都渋谷区で)

――その後も事務所に通い続けますね。

「ええ。糸井事務所の社員でもないのに、です。何とか糸井さんに気に入られようと思っていましたから。やがて事務所内がファミコンで盛り上がり、僕は特に野球ゲームの相手をすることになります。糸井さんは大の巨人ファンなので、実際の巨人が負けている時の対戦はいつもハラハラしていました」

――漫画家デビュー(80年)できたのは糸井さんのおかげだそうですね。

「そうなんです。その頃、僕は漫画雑誌『ガロ』に作品を持ち込み、何度も何度もボツを食らい続けていた。で、ちょうど10回目くらいかな、編集長の渡辺和博さんから初めて『いいね』と言われて、翌月に掲載されるのを心待ちにしていたんです。ところが翌月号を見てもどこにも載ってない。友人にも散々自慢しまくった後だったので、ついに頭にきて編集部に文句を言いに行ったら『他のページが増えたから来月に回した』という。見ると僕の原稿にすでに写植まで張ってある。『あ、しまった』と思ったけど、もう後には引けない。『じゃ、自分で出版すれば』と編集長に原稿を突き返され、僕の部屋にそのまま眠っていたんです」

事務所の書棚は漫画、仏像、怪獣、映画、音楽など様々な本で埋め尽くされている

――お蔵入りになった作品がどうやって日の目を見るんですか。

「1年くらいして、糸井さんにその話をしたら、『おまえも、せっかく掲載直前まで行ったんだから、ちゃんと頭を下げて、載せてもらった方がいいよ。編集長は知り合いなので俺からも頼んでやるから』とその場で電話をかけ、『まあ、作品はつまらないかもしれないけど、悪いヤツではないから、載せてあげてよ』と編集長に掛け合ってくれたんです。もう涙が出るほどうれしかった。それでデビューできたんです」

連載初回はハイアース看板、糸井さんの意外な提案に衝撃

――すごい恩人ですね。泣ける話です。

「ほかにも色々なアドバイスを受けました。まず『高円寺のアパートを出て、長髪を切れ』とも言われました。『居心地のよい所にいても仕事は来ない』というわけです。言われたとおり、すぐに原宿に仕事場を構え、髪形も流行のテクノカットに変えました。メジャー誌の講談社『ヤングマガジン』の連載(84年)が決まったのも糸井さんのおかげです。『糸井さんが原作なら……』というのが条件だったので、恐る恐る糸井さんに切り出すと『俺はやらないよ』とピシャリ。でも、僕のことをふびんに思ったのか『じゃ、みうら、相談でどうよ? 毎週、描きたいことをおまえが俺に話して、俺がこうすればとかアドバイスするという役ならやるよ』と言っていただいた。だから連載が決まりました」

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「おまえはダメになる」、楽な道への逃避をお見通し
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