
初めて来日した外国人の多くが戸惑ったり、驚いたりするのがタクシーのドア。海外だと客がドアを開け閉めするのが通例だが、日本では運転手が遠隔操作で自動開閉する方式が定着しているためだ。そんな「おもてなし文化の象徴」とも言える自動開閉ドアが日本に普及したのは、実は1964年開催の東京五輪がきっかけだったという事実をご存じだろうか。
その後、海外にも輸出しようと何度か試みるが、結局、成果を収めたのは香港などアジアの一部だけ。欧州や北南米などそれ以外の地域にはまったく定着することなく終わったそうだ。
なぜ自動開閉ドアが東京五輪を機に日本で広まったのか? なぜそれが海外には根付かなかったのか? 日本で生まれたタクシーの自動開閉ドアの開発の軌跡や秘話を追いかけてみた。
50年代後半に開発に着手、労働軽減、安全対策、サービス競争…
取材で訪れたのはタクシーの自動開閉ドアを開発したトーシンテック(愛知県大口町)。年商23億円の中小機械メーカーで、国内で約9割の市場シェアを現在まで握り続けているという。自動開閉ドアの開発や業界内の動向に詳しい元常務の東孝一さん(65)と3代目社長だった勝野忠男さん(82)から話を聞いた。
出発点は高度経済成長期が始まった1950年代後半。東京で貿易会社を営む実業家だった岡田実さん(トーシンテックの創業者)はタクシーの自動開閉ドアの試作に取り組んでいた。タクシー会社の関係者から「運転手が座ったままでドアを開閉できたら便利なのに……」という声を聞いていたからだ。
「当時、タクシー運転手は顧客サービスの一環として、利用客が乗降する際、いちいちクルマから降りてドアを開け閉めすることが多かった」(勝野さん)。客がドアを開閉すると、後続車との接触事故などトラブルが起きやすくなるとの懸念もあったらしい。
とはいえ、運転手にとって、客が乗降するたびにクルマから降りてドアを開け閉めするのはかなりの重労働になる。「もし、遠隔操作で簡単にドアを開閉できる装置を開発すれば、運転手の負担が大幅に軽減できるし、安全対策にもつながる。タクシー会社も競って導入してくれるのではないか」。岡田さんはこう考えた。