広尾学園の改革に参画したころから10年足らずなのに、大橋氏は「時代は大きく変化していると感じた」。世界で競争し、活躍できる人材を育てなければいけない。目標は難関大学への合格実績でなく、考える力、コミュニケーション力、サイエンスや情報通信技術の知識を備えた人を送り出すことだ。こうして「世界標準の教育」という方向性が決まった。
生徒の目が輝いた「相互通行」授業
戸板時代からの教職員の戸惑いは大きかった。しかし、長年社会科を教えてきた今井誠教頭は、「戸惑い以上にとにかく困っていた。まずは大橋先生の示す方向性でがんばってみようと思った」と振り返る。
大橋氏の発案で三田国際の発足当時から導入したのが相互通行型授業だ。授業に先立ち、先生は議論のきっかけとなる「トリガークエスチョン」を投げかけるだけ。生徒は自分でリサーチした材料を持ち寄り、グループで討論し、結論を発表する。発表の際には、資料の構成や見せ方の工夫も求められる。問題解決能力を高めるのが狙いだが、戸板時代からの教員には未知のやり方だった。
手探りながら今井氏が手掛けたのが「お弁当授業」だった。東京駅でいくつか駅弁を購入し、「一番売れそうなのはどれか」「なぜそう思うのか」を分析させた。すると、生徒の目がキラキラし始めたという。
当時、その授業を受けた生徒の中には普段なら数分で居眠りしてしまう子もいた。「その生徒たちが、教え方を変えただけでこんなに違う表情をみせるとは。驚きました」(今井氏)
三田国際になって4年で、生徒は4倍の約1200人に増えた。相互通行型授業やサイエンス教育の成果も表れ始めている。「水素ガスを用いた微生物培養系の開発とその評価」という研究でホンダから研究費助成などを受けることが決まった生徒もいる。別の生徒は菌に興味を抱き、夏休みに全国を回って500種類の菌を集めた。教諭が理化学研究所に持ち込んだところ、2種は新たに発見された種類だった。
受験生や保護者の関心は年々高まり、今では都心部の最難関クラスと併願する生徒も現れ始めたという。
大橋氏が教育にかかわったのは塾が最初で、教員出身ではない。若いころに参加したボーイスカウト活動で、スカウトの小さな子どもたちから「勉強教えてよ」と頼まれて「寺子屋のようなことを始めたのがきっかけ」(大橋氏)。窮地に陥った女子校を2校も立て直した業績は派手に聞こえるが、実際の印象は物静かで穏やかだ。「子どもは学ぶべきことを学ぶと確実に変わっていく。大人になったとき、中高での学びが自分の礎となったと言ってもらえるような学校でありたい」。静かに語る大橋さんのメッセージは「発想の自由人たれ」だ。
(藤原仁美)