犬と出会い人生一変 トレーナーになった彼女の新世界
かけがえのない家族の一員として、動物との暮らしを楽しんでいる働く女性は多いはず。物言わぬ彼らですが、時に心を幸せな気持ちで満たし、時に沈む気持ちにそっと寄り添ってくれます。「この子のためなら何でもする!」とまで思わせる存在かもしれません。人生に豊かな彩りを運んでくる最愛のパートナーとの物語を紹介します。
坂道の多い横浜市の静かな住宅街。見上げるように長い玄関までの階段を勢いよく駆け下りて出迎えてくれたのは、甲斐犬(かいけん)の宇太(うた)くん(10歳)と、宇太くんの娘の音和(ねわ)ちゃん(5歳)です。足が長く、均整の取れた姿に見とれていると、前脚を上げてうれしそうに体を寄せてきました。「ごめんなさいね。はしゃいじゃって」と、飼い主の安達裕佳子さんが笑います。
安達さんは会社員の夫と犬2匹、猫3匹と暮らしています。以前は商社や社労士事務所に勤務していましたが、今はドッグトレーナーとして活動。犬たちは家族であると同時に、仕事の大切なパートナーでもあります。
初めての動物との暮らしは2匹の猫と。でも少し物足りなかった
山梨県の山岳地方にルーツを持つ甲斐犬は比較的珍しい犬種。安達さんと宇太くんの出会いは、ちょっと運命的なものでした。
結婚6年目を迎えた30代後半、そろそろ子どもがいる生活もいいなと思い始めたものの、なかなか授からなかった安達さんは「愛情を注ぐ対象が欲しい」と、2匹の子猫を家族に迎えます。和室の障子やリビングの壁紙をバリバリにされるなど、初めての動物との暮らしは最初こそ「衝撃」でしたが、帰宅すると駆け寄ってきて競うようにじゃれついてくる姿に、楽しさを実感するようになりました。
ただ、猫は基本的に自分たちのペースで気ままに過ごす動物。だからこそ仕事をしながらでも飼いやすいと考えたのですが、「世話を焼く」という意味では、安達さんにとってちょっぴり物足りなさがありました。そんなとき、父親が病気で余命が長くないことが分かります。
「本人の希望で、父は最後の時間を自宅で過ごすことになりました。なるべくそばにいたいけれど、私が住んでいるのは横浜で、仕事をしながら千葉の実家に頻繁に通うことは難しい。これまで進学、就職、社労士の資格を取って転職と、ずっと順調に頑張ってきたけれど、ここで仕事を辞めてみるのもいいかなと考えました。ただ、父が亡くなった後のことを考えると、『どこにも属さない自分』になることには不安がありました。
そんなときに、夫婦の間で『犬を飼う』という話が持ち上がりました。犬は社会的な動物なので、毎日の散歩が欠かせません。この一見やっかいなルーティンワークこそが、仕事を辞めることをためらっている私の背中を押してくれることになったのです」
夫婦共に「飼うなら甲斐犬」、そこへ運命の出会いが
まだ犬を飼うと決める前のこと。動物写真家の岩合光昭さんの写真集を夫と見ていた安達さんは、「もし飼うとしたらどの犬がいいか、せーので指さしてみようか?」と提案します。夫婦が選んだのは、偶然にも同じ犬種。それが甲斐犬と川上犬(かわかみいぬ、甲斐犬と似た風貌の小型日本犬)でした。
それから1カ月もしないうちに、夫のところに仕事の取引先の人から「甲斐犬の赤ちゃんが生まれて、もらい手を探しています」という情報が舞い込みます。「これはもう運命だ!と思って会いに行ったら一目ぼれ。甲斐犬のパピーって、くまのプーさんみたいで本当にかわいいんです。しかも、お母さん犬が出産直後だからか、すごく神々しかったのが印象的で。そのたたずまいに出会わなかったら、飼うことを決断しなかったかもしれません」
こうして2008年に安達家にやって来た宇太くん。その2カ月後に父親は亡くなりましたが、慣れない子犬の世話などで忙しく過ごすことで、悲しみを紛らわすことができたといいます。
安達さんは9年前、マンションから今の一軒家に引っ越してきました。「一番の理由は夫の書類や本が増え続けて雪崩を起こすようになったからなんですが(笑)、マンションに犬が苦手な人がいて、擦れ違うたびにあからさまに嫌がられたんですね。また、非常階段で出くわした小学生の子どもたちのはしゃぎ声に宇太が驚いてしまい、一時的に子どもを見るとおびえるようになってしまった。そうしたこともあって、一軒家のほうが安心かなと思いました」
引っ越してきてからは猫が1匹増え、さらに宇太くんの娘、音和ちゃんも仲間入り。安達家はますますにぎやかになりました。
和犬の気質に合ったしつけや接し方をもっと知りたい
穏やかであまり吠(ほ)えない甲斐犬ですが、もともとは狩猟犬でもあり、成犬は体長約50cmと存在感のある大きさ。飼うに当たっては人と暮らすルールをきちんと身に付けさせる必要があります。「朝晩たっぷり散歩に出掛けても、エネルギーを持て余しているのが明らか。いろいろ勉強していくうちに、単に体力を消費するだけではなく、頭も使わせたほうがいいということが分かってきました」
洋犬のノウハウで指導するしつけ教室が多い中、和犬である宇太くんの気質により合った接し方が知りたい。これから仕事をするなら犬と一緒にできることがいいなと思い始めていた安達さんは、宇太くんと一緒に学校に通ってドッグトレーナーの資格を取得します。
今はお客さんの元へ出掛けて、飼い犬のしつけや問題行動の解決などを指導するほか、数年前からはドッグダンスも教えているそうです。ドッグダンスって一体?
飼い主も楽しみながら、犬との関係性を良くすることができる
百聞は一見にしかずということで、毎年安達さんが参加しているというドッグダンスの発表会のDVDを見せてもらいました。音楽に合わせてステップを踏む安達さんの周りを宇太くんが付いて歩いたり、足の間をすり抜けたり。何ともほほ笑ましい姿ですが、合図に合わせて動けるよう練習を重ねるドッグダンスには服従訓練の要素もあるそうです。「ただ言うことを聞くよう訓練するのは飼い主にとってもしんどいもの。ドッグダンスは楽しみながら関係性を良くしていくことができて、モチベーションも上がりやすいんです」
お気に入りのおやつシリーズ。健康を考えて、安全な素材を使ったものをネットで注文している。「特に好きなのは馬のアキレス。長時間うれしそうにかんでいます。硬いので歯石も取れるし、ドッグダンスの発表会の待ち時間にあげたりすると、心を落ち着かせるのにも役立ちます」
今は新たに「ノーズワーク(犬の優れた嗅覚を最大限に生かすトレーニング)」と「トレーリング(人探しなどの訓練)」も勉強しているという安達さん。「私の活動の根底にあるのは、それぞれの犬にあった活動がしたいということ。教えるスキルを磨いて、『こんなこともやると楽しいし、関係性も良くなりますよ』といろんな提案ができるようになりたいです。いつかは、さまざまな犬が一緒に過ごしながら社会性を身に付ける『犬の幼稚園』も開きたいと思っています。
宇太がやってきて10年。それまで知らなかった新しい世界がどんどん広がって、とても楽しいです」
(取材・文 谷口絵美=日経ARIA編集部、写真 鈴木愛子)
[日経ARIA2019年2月28日付の掲載記事を基に再構成]
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