女子鉄アナ・久野知美さん 自主性を尊重、見守る父
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はアナウンサーの久野知美さんだ。
――鉄道好きで、旅番組などに出演する「女子鉄アナウンサー」として知られていますね。
「鉄道に目覚めたのは高校生のときです。大阪の自宅から京都への通学で利用した京阪電車が好きでした。特に気に入っていたのが旧3000系と呼ぶ特急車。日本初の、カラーテレビを搭載した『テレビカー』です。わくわくしました。立命館大学に入ってからは、定額で自由に乗り降りできる青春18きっぷで鉄道旅行をしました」
――ご家族も鉄道好きなのですか。
「いいえ、鉄道好きは私だけです。父はアパレルメーカーに勤めた後、独立して同業の会社を経営していました。母は銀行員。2人とも鉄道を単なる移動手段としかみていません。3つ年下の妹も鉄道にはまったく興味がありません。なぜか私だけが鉄道に魅せられてしまいました」
――仕事は最初からアナウンサー志望だったのですか。
「アナウンサーになりたくて、北海道から宮崎まで全国の放送局を受けました。でも、試験は全滅。父からは『人に夢を与える仕事に就くのは難しいものだ』と厳しく言われました。もう諦めろということですね。父は子供の自主性を尊重してくれる人で、頭ごなしにものを言うことはありません。それだけに、落ち込みました」
「気を取り直して翌年また受けたのですが、うまくいかない。心が折れて夏にインドネシアに10日間の一人旅をしました。帰国してから、もう受験はやめようと決めました。局アナにこだわる必要はない。フリーアナウンサーという道もある。父には事後報告でしたが、今度は理解してくれました」
――そこで道が開けたのですね。
「地元・大阪のプロダクションに所属してリポーターなどを務め、2年後にホリプロに移り女子鉄アナウンサーとして活動を始めました。BSやCSの鉄道チャンネルが増え、『鉄子』といわれる鉄道好きの女子が市民権を得始めた時期だったのが幸いしました。鉄道旅のリポートや車内の自動アナウンスなどに仕事が広がっていきました」
――ご両親も鉄道に関心を持つようになったのではないですか。
「当初、父は私の活動を静観していたのですが、最近は気になるようで、私が発信するツイッターをフォローしてくれているみたいです。ただ、いまだに鉄道そのものへの関心は薄いですね。母は『この前、こんな列車に乗ったよ』などと私に話してくれるのですが……」
「父には今のままでいてほしいです。無理に鉄道好きになってもらわなくてもいい。鉄道が好きでなくても、鉄道が好きな私を好きでいてくれたらなと思います」
[日本経済新聞夕刊2019年4月16日付]
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