働き盛りで精巣腫瘍に 「あれ食べたい」を励みに治療がんになっても働き続けたい~改發厚さん(上)

――私は5年前に悪性リンパ腫で、改發さんが使われた抗がん剤とは違う種類のものを複数投与しました。今は抗がん剤治療をする前に制吐剤を使うことが多く、私は1回も吐かなかったんです。

私のころは、そんなにいい制吐剤はなかったのではないかと思います。ただ抗がん剤治療から日にちがたつと、体が回復してきてお腹が空くんです。そのときにあれ食べたい、これ食べたいと妄想して(笑)。体調のいいときに外泊許可を取って、串カツや焼き鳥、ビールとか食べたいものを食べ、飲みたいものを飲みました。抗がん剤を投与する合間においしいものを食べることが、治療のモチベーションになりましたね。

闘病記ブログを通じて感じた「1人じゃない」

――精巣腫瘍は患者数が少ないと伺ったのですが、治療中に同世代の患者さんと接する機会はありましたか。

「僕のブログを読んだ患者さんが転院してきたこともあります」

精巣腫瘍になる割合は10万人に1~2人といわれます。最初に入院した病院は泌尿器科の高齢の患者さんばかりで、同世代のがん患者さんは全然いませんでした。自分の気持ちをぶつけられる闘病記ブログを開設し、治療内容やつらい気持ちなどを日記のように書いていたんです。

大学病院に転院になると、精巣腫瘍の患者さんは多くいて。年齢が近いから仲良くなって、楽しく過ごせた時期もありました。僕のブログを読んだ面識のない患者さんが「同じ病院で治療したい」と転院してきたことも。彼とは今も交流が続いています。

――ブログをきっかけに転院するとは驚きます。

そうですよね。インターネットでつながると病気の情報を交換したり、知識を得られたりするだけでなく、自分以上に頑張っている仲間がいることが分かります。「自分は一人じゃない」って思えるんです。抗がん剤治療の副作用でしんどいときでも、「頑張ろう」という気持ちになりました。

治療を終えてから職場に復帰

――改發さんは入院期間が長かったわけですが、その間、仕事はどうされていたのですか。

もともとリサーチ会社の調査員を地方の支店でしていて、治療中は休職しました。自分が働けないことから赤字が出てしまい、小さな支店だとそこが目立ったようで、入院中に大きな大阪の営業所に異動という形になったんです。仕事はしていないけれど、職種も外勤から内勤に変わりました。職場復帰したのは、退院してしばらくたった2005年11月。復帰後は、給料が大きく減額しました。その後も何度か異動を繰り返し、職種も変わりましたが調査員に戻り、現在は外勤をしながら課長として管理職の業務にも就いています。

――職場復帰するにあたり、周りの人たちにがんのことは伝えましたか。

病気のことはあまり人には言わず、上長にだけ伝えました。当時はまだ「がん=死」と、すぐに結び付けられてしまうように思えましたから。そのおかげで特に問題なく仕事はできましたよ。身近な人は自分のブログを見ていて、応援メッセージを送ってくれました。

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改發さんのインタビューの後編では、働く世代のがん患者を医師と連携して支える精巣腫瘍友の会(J-TAG)の活動について伺う。

(ライター 福島恵美、カメラマン 水野浩志)

改發厚さん
精巣腫瘍患者友の会(J-TAG)代表。働き盛りの32歳のときに難治性の精巣腫瘍にかかり、1年半の治療生活を送る。抗がん剤治療を合わせて13コース、外科手術を3回経験。闘病中からブログを開設して情報を発信。奇跡的に寛解した後、NPO法人キャンサーネットジャパンのボランティアスタッフとして、講演活動やピアサポートを実施。2010年10月に日本初の精巣腫瘍の患者会を創設し、代表に就任。