東大航空工学→アート エルメス注目の若きデザイナー
デザインエンジニア 吉本英樹氏
スイス・ジュネーブで2019年1月に開かれた高級時計の国際見本市「ジュネーブサロン」(SIHH、Salon International de la Haute Horlogerie)。フランスの高級ブランド「エルメス」のブースを飾ったのは巨大な球体のオブジェだった。手がけたのは英国ロンドンを拠点に活動する若きデザインエンジニア、吉本英樹氏。智弁学園和歌山高校から東京大学に進み航空宇宙工学を専攻、英国の美術系大学院大学、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で博士号を取得した異色の経歴の持ち主だ。吉本氏に最新作とその背景などについて聞いた。
――エルメスのブースでは入り口の巨大な球体オブジェが印象的でした。
「最初に与えられたのは『ダブルムーン』と『ドリーム』という2つのキーワードでした。キーイメージとなった新作時計『アルソー ルゥール ドゥ ラ リュンヌ』の文字盤(ダイヤル)には、月の満ち欠けを表示する『ムーンフェイズ』が2つあり、北半球と南半球それぞれから見える月を表現しています」
「ダブルムーンといっても2つの月ではなく、2つの視点、つまり私の視点とあなたの視点を意味するものだと考えました。そのとき思い出したのが、阿倍仲麻呂の和歌です。遣唐使として中国に渡り、帰国することができなかった阿倍仲麻呂が『天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも』と読んだように、その空間的、時間的な隔たりは、ひとつの月を介して分かち合うことができる。地球に生まれた全ての人たちが、そんなことを思い、あの月を見ていると考えると、すごく美しく思えて。そこで今回、インスタレーションの真ん中に大きな地球を持ってこようと考えました」
「直径は約3.5メートル。表面を三角形にカットした太陽電池で覆いました。地球のオブジェをつくるにあたり、大きな球体を青く塗るだけでは面白くないし、感動もない。何かそこに深みを与える素材はないかと考え、行き着いたのが太陽電池でした。すごく複雑な青色で、光の反射もすごく複雑。ペイントや表面処理では到底再現できない、魅力的な素材でした。加えて地球という惑星を表現するには非常に適した、理にかなった素材だと考えました」
「太陽電池には単結晶シリコン製と多結晶シリコン製があります。現在は発電効率もよい単結晶が主流なのですが、私たちは表情が複雑で美しい多結晶を選びました。ただ主流ではないので、使えるものを探すのにずいぶん苦労しました。何十社も尋ね回ってようやく中国で廃棄寸前の古い太陽電池を確保しました」
「加工も苦労しました。太陽電池はすごくもろいんですよね。紙よりも薄いので、すぐ割れてしまう。それをひとつひとつアルミニウムの板に接着して三角形に正確にカットしなくてはなりません。全部で2万480個あるのですが、一つ一つウオータージェットで切って、手作業で磨いて貼っていきました。本当にものすごく大変でした」
――制作にはどれくらいの期間がかかりましたか。
「まずコンセプトづくりやデザインの作業から始め、実際の制作は2018年9月から取りかかり4カ月ほどかかりました」
――これまで手がけた作品と比べていかがですか。
「規模は一番大きいですね。入り口の地球のオブジェだけではなくて、ブースの内も外も全て手がけました。あとはやはりエルメスという特別なメゾンなので、すごくエキサイティングでした」
「エルメスとは2013年くらいからのお付き合いですので、よく私のことを知っていただいていると思いました。エルメスは常に自由にクリエーションを任せてくれます。本当に素晴らしいなと思うのですが、『テーマはダブルムーンとドリーム、以上』で、あとは何してもいい。信用してくれているわけですよね。私は大御所というわけでもないのに。すごくうれしいですね」
――そもそも、なぜ東大工学部からなぜアートの世界へ。
「高校時代は智弁和歌山のブラスバンド部として、野球部の応援などでトランペットを吹いていました。音楽をやっていたことが後々の進路に結構大きく影響しました」
「当時は航空機のパイロットになりたかったんです。東大に行きたかったので、そのなかで最も志望に近い工学部航空宇宙工学科へ進みました。ただ、本当にしょうもない話なのですが、目が悪かったので結局、パイロット試験を受けるにも至りませんでした」
「同級生は機械としての航空機や宇宙機をつくることに情熱を持った人たちでしたが、私自身は飛行機という存在というか、空を飛ぶことのロマン、宇宙といった未知へのロマンの方が強かったので、エンジン開発などにはあまり魅力を感じませんでした」
「自分自身、何をしたいのかと考えあぐね、大学院に進み、人工知能を専門としている堀浩一教授の研究室に入りました。すばらしい先生で『何でも興味のあることを全力でやりなさい』といった感じでした。そこで強く意識するようになったのは、『自分にしかできないことやる』『人と違うことをやる』ということです」
「こうしたことを考えた結果、小型飛行船を手がけることになります。エンターテインメントにおける航空宇宙機の活用について考えたのです。もちろん音楽をやっていたという経験が大きいです。当時はドローン(小型無人機)なんて今のような感じではなかったので、エンターテインメントにおける航空機というのは、広告用の飛行船があるほかは、無線操縦みたいなオモチャしかありませんでした」
「音楽、クリエイティブパフォーマンスに興味があって、かつきちんと航空宇宙工学と人工知能(AI)、ヒューマン・コンピューター・インタラクション(人間とコンピューターの相互作用)を勉強した私が、再発明というと言い過ぎかもしれませんが、何ができるかを考え直せば、無線操縦の飛行船よりももっと素晴らしく、面白いものをつくれるのではないかと思ったのです」
「何をやったのかというと、2万円ほどの飛行船のキットを50個限定でつくりました。飛行船には発光ダイオード(LED)がついていて、その光と動きを音楽やDJ機器など様々なインターフェースにリンクできるようにしました。制御ソフトウエアとインターフェースは、誰でも自由に利用したり改良したりできるオープンソースで提供して、購入者が変えられるようにしたのです。本格的な音楽のパフォーマンスとともに、観客の上を光る飛行船が飛ぶといったようなことが自分たちでできる、そうしたプラットフォームをつくったのです」
「興味関心も航空機から移り変わってきました。エンジニアリングを使いクリエイティブなアプリケーションをつくって、みんなに楽しんでもらい、夢見てもらう――そういうことがすごく好きになってきました。東大で航空宇宙工学を研究するという選択肢もあったのですが、このチャンスに、海外へ行こうと。英ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で博士課程に進もうと決めました」
――将来に対する不安はありませんでしたか。
「RCAで博士号を取得するまで不安はありませんでした。2015年に会社(デザイン・エンジニアリングスタジオ『タンジェント』)を立ち上げてから、不安がたくさん出てきました。やはり守ってくれるオーソリティー(権威)がありませんから」
――日本に帰るという選択肢はありませんでしたか。
「日本にとにかく帰りたくないとか、ロンドンに絶対残りたいとか、そういうことを思ったというよりは、ごく自然にロンドンに残っている感じですね。やはり仕事があるところに拠点を持つべきですし」
「すごく象徴的だったことがあります。2年前にインターン(就業体験)をRCAで募集したのですが、30人ほどの応募があって10人を面接したところ、出身が9カ国に分かれたのです。キプロスとか、アルゼンチン、南アフリカとか。こんなことロンドンでなければ絶対にありませんよね。すごく面白くて、すごくいいなと思います」
――会社の運営はいかがですか。
「タンジェントの主なメンバーは4人。アメーバ的というか、みんなタンジェント以外のこともやっています。それは私もいいことだと思っていて、自分自身、4人以外の人たちと組むことももちろんあります。すごく自由で、会社といえば会社ですけど、英語でいえばデザインコレクティブ。コレクティブ、すなわち集団に近い感じですね」
――これから取り組みたいことは。
「私自身は、もののフォルムを細かく詰めていくような作業よりも、抽象的なコンセプトを考えたりすることが一番好きなので、その対象が大きくなるのは面白いです。オブジェを考えていたのが空間になり、建築空間が都市空間になり――。コンセプトを考えるというのは対象に縛られない点がいいですよね。その幅を広げていきたいと思っています」
(聞き手は平片均也)
デザインエンジニア 1985年生まれ。2004年智弁学園和歌山高校卒、2008年東京大学工学部航空宇宙工学科卒、2010年同大学院修士課程修了、2015年英ロイヤル・カレッジ・オブ・アート博士課程修了デザイン工学博士。同年タンジェント・デザイン・アンド・インベンション(www.tangent.uk.com)設立。和歌山県出身。
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