――そういう才能はどうやったら身に付くでしょうか。
「正直に言えば、努力ではなく、天性の部分が大きい気がします。努力はもちろん必要だけど、それは前提であって、それだけではダメ。天性は努力してもどうしようもない部分です。人に嫌われるタイプのモデルは、一時的に売れることがあっても長続きはしない。どんな商売にも言えることですが、周囲から好かれること、周囲に動いてもらえることが大切です」
白人モデルのナンパで鍛えた英語、「裏方の方が向いている」
――馬淵さんがモデル・エージェント業界に入った理由は。
「大学(流通経済大)時代は海外に憧れ、白人モデルと付き合うために英語を鍛えていました。大学のサーフィン部に入り、昼はサーフィン、夜は六本木や青山のディスコで外国人モデルをひたすらナンパしまくる毎日。実践英語です。大学卒業後、東芝に勤めるが1年で辞め、ミラノやパリを放浪。そこでモデルたちと知り合い、本場の現場を見てから、2年後に帰国してイマージュでアルバイトとして働き始めた。それがきっかけです」
――どんな仕事をしていたんですか。
「最初は外国人モデルをクルマに乗せ、国内の企業やブランドに売り込むのが仕事でした。そのうちに日本で働く外国人モデルをスカウトするために世界各地を出張するようになる。1日1都市のペースで2週間程度かけて数カ国を回る出張の繰り返し。1年の半分は海外。体力的にはきつかったけど、とても楽しかった」
「もともと大学時代は役者に憧れ、劇団に所属していた時期もありました。でもモデルのマネジメントをしているうちに『自分は裏方の方が向いている』と気がついた。2012年に会社を引き継いで社長に就任。現在、会社には森英恵さんの孫娘の森星さん、国木田独歩の玄孫の国木田彩良さん、アーティストのスプツニ子!さん、関連会社には写真家のレスリー・キーさんらも所属しています」
兄は憧れと反発の対象、先祖は静岡・浜松の名士
――民主党政権で国土交通相を務めた馬淵澄夫さんは実兄だそうですね。
「3歳上の兄とは二人兄弟で、仲良くやっています。馬淵家の先祖(曽祖父=馬淵金吾)は静岡・浜松で自由民権運動を進めた県議で、第二十八国立銀行の創立や地元の紡績会社の経営などにも携わった実業家でもあった。そのDNAは兄に引き継がれたのでしょう」
「優等生の兄は、僕にとって憧れと反発の対象だった。子どもの頃、金魚のフンのように兄の後をついて回っては、よく泣かされたものです。でも同時期にサーフィンや英会話を始めるなど、兄を勝手にライバルのように意識していた。兄が横浜国立大時代にボディービルで体を鍛え始めたのも『兄の強さを弟に見せつけようとしていたのかな』なんて感じたりしていた。兄の存在は大きかったですね」
――若い世代にメッセージを。
「偉そうなことは言えませんが、『好奇心と情熱を持ち、もっと人生を面白がれ。ミーハーやオタクになって、世界に飛び出せ』――。これまで自分で実践したことをエールとして贈りたいです」
(聞き手は日本経済新聞 編集委員 小林明)