
冨永愛、杏、福島リラ、すみれ、松岡モナ、森星……。世界で活躍する日本人のトップモデルや人気女優を次々と発掘してきた業界屈指の目利きがいる。国内の有力モデル・エージェント会社、ボン イマージュ(東京・港)社長の馬淵哲矢さん(55)。
「僕と一緒に世界に行こう」。高校生の冨永愛さんに声をかけたのが1999年のこと。以来、冨永さんはスーパーモデルとして大きく飛躍し、その後も世界で活躍する日本人モデルたちを原石から掘り出し続けている。世界で通用する人材の条件とはなにか? モデルの原石を発掘する極意とは? 馬淵さんにインタビューした。
「海外でも通用する」、冨永愛の写真に直感
――冨永さんと出会ったきっかけは。
「99年に日本で雑誌モデルをしていた高校生の冨永さんを写真で見かけたんです。とにかくスタイルの良さに目を見張った。足の長さ、腰の高さは海外のトップモデルにまったく負けていない。独特なオーラも持っている。『この子は海外でも絶対に通用する』と直感し、面識もないのに本人に会いに行きました」
――当時、馬淵さんはモデルのスカウトマンだったんですね。
「僕はボン イマージュのエグゼクティブ・ディレクターという立場で外国人モデルをスカウトするために世界各国を飛び回っていた。北欧、東欧、南欧、北米、南米……。白人の女性モデルを中心に1日100人以上も面接していたが、海外関係者からよく言われたのが『なぜ日本人モデルを使わないのか?』という言葉。それまでは日本市場で受ける白人モデルを海外で探してきたので、『逆に日本人モデルを世界に売り出せたら、どんなに素晴らしいことだろう』と思っていた矢先に目に止まったのが冨永さんでした」
信頼得るため休日に会社見学、「ヴォーグ」で大ブレーク
「いきなりファッションショーの楽屋に出向き、名刺を渡して『うちの事務所でカメラテストを受けてほしい。僕と一緒に世界に行こう』とお願いしたら、『うん、いいよ~』という軽い返事。でも、いくら待っても連絡が来ない。きっと、怪しいおじさんだと思ったんでしょうね。そこで再度、会いに行き、イマージュがきちんとした会社だと安心してもらうため、休日に東京・南青山の本社に招待した。15人ほどの社員全員にわざわざ休日出勤してもらい、会社の普段の雰囲気を見学してもらったんです。それでようやく信頼してくれました」