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銀座で134年続くネクタイ店 常連客はきら星のごとく 田屋社長 梶原伸悟氏(上)

2019/3/16

田屋社長 梶原伸悟氏

老舗の多い東京・銀座で、洋品店として最も古い歴史を持つのが「田屋」だ。銀座の中心、4丁目交差点にほど近い本店で、オリジナルデザインの高級ネクタイを取り扱っている。近代日本を代表する洋画家、黒田清輝や作家の永井荷風、吉田茂首相らも顧客だった田屋の歴史は、日本の近現代史と重なってみえる。5代目、梶原伸悟社長に聞いた。

(下)流行を追わない銀座のネクタイ 3代続く顧客に磨かれ >>




――田屋は1905年(明治38年)に現在の銀座4丁目で創業してから114年経(た)ちましたが、前史があります。もともとのスタートは134年前の1885年(明治18年)に銀座1丁目に開いた西洋小間物商でした。

「創業者の田屋常吉は山梨県の出身です。横浜港に外国船が寄港すると、シャツやステッキ、帽子、化粧品、日用品の類までを仕入れていたといいます。店内のショーケースも輸入した英国製でした」

明治時代の田屋の店舗

――当時は「唐物屋(とうぶつや)」と呼ばれていました。

「服装の洋風化をいち早く取り入れた富裕層だけでなく、在留外国人もよく来店していたようです。当時の商品カタログは英文で、ページを切り離して、そのまま絵はがきに使えるという凝ったものでした。当時の銀座には自転車が3台しかなく、そのうちの1台を常吉が所有していたそうです」

田屋のカタログ(明治・大正期)
カタログは切り離せばポストカードに

「日露戦争が終わった1905年(明治38年)に義弟の梶原重蔵が銀座4丁目に支店を開きました。これが現在の店舗となりました。今年で114年間、同じ場所で営業を続けていることになります。当時は『ネクタイ』という呼称はまだなく『襟飾(えりかざり)』と呼んでいました」

――明治・大正期に、銀座は大衆消費文化の中心として大きく成長しました。この時代に足しげく通った顧客のひとりに近代画壇の巨人、黒田清輝がいました。

「1914年(大正3年)9月24日の黒田画伯の日記には『新橋ニテ人力ヲ雇ヒ銀座田屋ニ寄リ買物ヲナシ上野ノ学校ヘ赴ク』と記されています。3日後の27日にも『先ヅ国民美術ノ事務所ニ寄リ銀座田屋ヘ回リ帽子ヲ購ヒ新橋駅ニ到ル』とあり、贔屓(ひいき)にしていただいていました」

昭和8年の広告

――1923年(大正12年)9月の関東大震災で店舗を焼失したものの、11月には4丁目店の営業を再開したと社史にあります。その直後に文豪、永井荷風が買い物に訪れています。

「12月14日の日記に『夜お栄を伴い銀座を歩み田屋支店にて帽子を購ふ。金弐拾七円。但し五分引の由。お栄は手巾六枚を買ふ。金八円なり」とあります。昭和期の作家では、菊池寛がネクタイをまとめ買いしていたそうです。映画監督の小津安二郎、演劇評論家で演出家の武智鉄二も来店していたと聞いています」

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