ショコラ大国フランスに挑む 明治のカカオ菓子職人
パリから南東に70キロ、8世紀にわたり歴代フランス国王が居を構えた、世界遺産フォンテーヌブロー城がある。街路樹が黄金色に輝く11月半ば、この由緒ある宮殿で、パティシエ界の世界的権威が主催するチョコレートの祭典「アンペリアル・ショコラ」が開催された。ここに日本から唯一招待されたのが、カカオクリエーター宇都宮洋之さんを擁する明治。入社以来25年間、チョコレート一筋に良質なカカオを求めて世界を駆け巡り、熱帯のジャングルで現地の農家と汗を流してきた宇都宮さんが、満を持してショコラ大国フランスに挑んだ。
アンペリアル・ショコラは、フランスをはじめ、世界各国の最高峰の菓子職人が名を連ねる協会「ルレ・デセール」の名誉会長フレデリック・カッセルさんが主催する、チョコレート菓子の技術と魅力を世界に発信するイベントだ。出展は原則、フランス国家最優秀職人章(MOF)を与えられた菓子職人や、フランスの老舗店などに限られる。出展料を払えば出られる類いのイベントではない。自らも一流パティシエとして活躍し、ルレ・デセール会長として数多の名職人をみてきた、そのカッセルさんが直々に「このイベントに出てみないか」と声をかけたのが宇都宮さんだった。
フランス人職人の技術と誇りが結集したイベントに、なぜ宇都宮さんが選ばれたのか。カッセルさんの答えは極めて明快だ。「彼はカカオのクオリティーに絶対的な自信を持っています。そして私でさえ、人生で一度しか見たことのないホワイトカカオをよみがえらせようとしている。素晴らしいと思いました」。
1993年の入社以来、一貫してチョコレート作りに携わってきた宇都宮さん。当時、カカオは海外で生産されたものをただ買い付けるだけだったが、素材を前面に打ち出していくなら、より上流からかかわることが必要だと考えていた。「日本が購入しているカカオは、世界のたった1%。量も買わない、(チョコレートの)歴史もない、産地での人間関係もない。それでは良い素材がなかなか手に入らない」。研究開発にまい進する一方で、変わらない状況にもんもんとするなか、転機は2005年に訪れる。
「産地に行かせてください」。カカオ基礎研究グループ長に任命されたのを機に、カカオの栽培から携わりたいと上司に直訴した。幸い、熱意が通じ、ほどなく、南米ベネズエラのジャングルと日本を往復する日々が始まった。1カ月現地に滞在し、2、3カ月帰国する。それを繰り返した。現地の農家と関係を築くのは、もちろん一朝一夕ではできない。
だが一方で、お世辞にも治安が良いとは言えない南米では、長期滞在すると狙われる。行動パターンを変えつつ、現地に溶け込むべく地道な努力を重ねた。日本を発ち、北米経由で南米のカカオ産地に入る。現地での仕事が一段落すると、そのまま、南米からの直行便が多いスペイン経由で欧州に渡り、良質なミルクを求めてフランスやオランダ、北欧を駆け巡る。「1年間に世界3周した年もありますし、赤道0度から北緯66度に1日で移動した日もあります。(通算)1年半ぐらいは熱帯のジャングルで過ごしたと思います」。まさに体力勝負だ。
南米のカカオ産地では、入念に農園の場所を選び、何をどのようにつくっているのか、農家を一軒一軒訪ねて回った。農家を決めると、カカオを栽培し、採れたカカオは手作業で発酵させ、乾燥させる。現場は赤道直下のジャングルという過酷な環境。朝、腹ごしらえをして現場に入ると、仕事を終える夕方までは何も口にできないという日々を過ごした。
「3年目に入るころには農家さんがだんだん心を開いてくれるようになりました」と宇都宮さん。「仲良くなると、農家さんがコーヒーやスープ、豆ご飯を出してくれるんです。きっと川でくんだお水で作ったものですけど、出してもらったら食べないわけにはいかない。気合で食べました」と苦笑いしながら当時を振り返る。
カカオ作りと並行して、2006年から、品種が豊富な南米5カ国で始めたのが「メイジ・カカオ・サポート」だ。前述のカッセル氏も称賛する取り組みとは一体どのようなものなのか。宇都宮さんはこう説明する。「良いカカオを作ってもらうために、農家さんが困っていることをサポートする仕組みです。例えば、肥料がないとなれば肥料を提供する。樹木を剪定(せんてい)できないと言われれば道具を貸し出す。あるいは一緒に苗選びをする。地道な活動です」。
企業側の押しつけではなく、現地のニーズをくみ取ったサポートを長期的に継続して行うため、農家のモチベーションが上がり、地域が安定する、良いカカオが採れる、という好循環が生まれるのだという。
「ヨーロッパの人にとっては、最終形の商品よりも、どう取り組み、どう作られたかというストーリーが大事」と宇都宮さん。その言葉を証明するように、カカオの実を発酵、乾燥、焙煎(ばいせん)、チョコレートに仕上げて行く過程を展示した明治のブースには、続々と人が集まる。若い女性や親子連れ、年配のご夫婦まで様々だ。興味深そうに代わる代わる試食し、1枚7ユーロ(約910円)の板チョコを購入していくフランス人の姿もあった。
産地と素材には徹底的にこだわった。「現地の農家さんにより近く、より深く入り込んでいる自信があります」。だが、産地別のチョコレートは欧州では目新しくなく、それだけでは世界で戦えない。そこで目を付けたのが、メキシコ産のホワイトカカオだった。
「我々の武器」と宇都宮さんが断言するホワイトカカオは、「カカオ全体の0.002%しか存在しない」。希少性が高く、世界の一流ショコラティエでさえ入手困難という。明治は3年半前、メキシコでそのホワイトカカオのみの農園作りに乗り出した。「カッセル会長に『君はスーパーマンだ。奇跡的なことをしているのが分かっているのか』と言われました」と笑顔を見せる。
メキシコにこだわるのにも訳がある。「スペイン人が1519年にメキシコに上陸した際に、ヨーロッパに初めてカカオを持ち帰ったと言われています。その後、ナポレオンらが口にしていたのがおそらくホワイトカカオだったであろうと。我々は今、それをよみがえららせようとしているんです」。
実際にカカオと食べ比べると、違いは歴然。通常のカカオは、苦みと渋みがあり、コーヒー豆をひいたような香ばしさがある。一方、メキシコ産のホワイトカカオは、思いのほか口溶けがなめらかで、フランス人が好む酸味を、かすかだが、しっかりと感じさせる。
続いて、このホワイトカカオ70%の板チョコを試食する。いわゆるダークチョコレートをイメージして口に含むと、間違いなく驚くだろう。甘く、まろやか。まるでミルクチョコレートなのだ。友人と明治のブースを訪れたフランス人のナタリー・テュリエさんは「ホワイトカカオなんて一度も聞いたことがない。とても興味深いし、新境地を開拓する斬新な取り組みだわ」と興奮気味に語ってくれた。
「単一品種にすると、病気にかかり全滅するリスクがあります。でも、そのリスクをとることに決めました。量ではなく質で、世界で戦っていきたい。これができれば世界一になれます」。宇都宮さんの言葉に熱がこもる。生産規模を大きくすることにより、非常に高価なホワイトカカオを手の届く商品にしていきたいという。同時に、お腹がすいたからつまむ、エネルギー補充に食べるだけではなく、「コーヒーやワインのように、産地や焙煎、貯蔵期間にこだわった嗜好性の高いチョコレートを作りたい」。
1926年に発売された明治のミルクチョコレートは今年で92歳。フランスの詩人で、大正時代に駐日フランス大使として日本に駐在したポール・クローデルも当時、明治のミルクチョコレートに魅せられた一人だったという。「欧州には、支店も販売拠点もありません。今が地固めのときだと思っています。でも、そろそろ一歩踏み出したい」。宇都宮さんの目は先を見据える。
明治のミルクチョコレートが100歳を迎える頃、フランス人が日本発のチョコレートを探し求める姿が見られるかもしれない。
(パリ在住ライター 吉田理沙)
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