人生の大きな転機にかかわる食の体験「出世メシ」。2番手は食文化や料理、田舎暮らしをはじめ幅広い分野のエッセーで知られる玉村豊男氏。画家としても活躍、ワイナリー経営から地域振興まで多彩な活動を続ける玉村氏に、どんな食の体験が現在の仕事につながってきたのかを聞いた。
――ずばり、玉村さんにとっての「出世メシ」を教えてください。
南仏ニースで僕が作った天ぷらでしょうか。1960年代末のことです。
もともとは、特に料理に関心があったわけではありません。興味が芽生えたのは、大学時代、パリに留学したときのことでした。渡仏したのは1968年9月で5月革命(パリの学生運動に端を発した社会変革を求める大衆運動)の直後。だから、いつまで経っても講義が開かれず、仕方がないのでヨーロッパや北アフリカへ貧乏旅行に出たのです。
旅先の宿は一番安いユースホステルで、食事は安食堂ですませた。国によってはユースホステルの中に食堂があったのですがフランスにはなく、代わりに何十円か料金を払うと使えるキッチンがあった。「先輩」たちの置き土産の調味料もあり、それで、お金を節約するため自分で料理をするようになりました。そうした中、本格的に食に興味を持ち料理の世界に入り込むきっかけとなったのが、ニース郊外のユースホステルでの体験でした。

そのユースホステルには長期滞在している「牢名主」がいた。当時は日本人が珍しかったので、彼に「日本料理を作れ」と言われたんです。暇だったから3、4日は滞在するつもりでしたし、「いいよ」と言ったら「日本料理の夕べ」をやるって大々的に宣伝されてしまいました。
さて、どうしようかと市場で食材を見ながら考えました。それで、天ぷらだったらみんな食べるかなと。作ったことはありませんでしたが、だいたい卵と粉を付けて揚げればいいんじゃないかって想像できた。それに、どうせみんな食べたことないんだから、「もどき」でも分からない(笑)。
市場で仕入れたネタは小さなタイでこれを3枚におろした。あとは、ダイコンおろしを作ろうと、外は黒いけど中は白くて日本のものと変わらないダイコンを買いました。ところが、牢名主も手伝ってくれると言うからダイコンおろしを任せたら、全部千切りにしてしまった。フランス語で「すりおろす」を意味する言葉「ラペ」には「千切りにする」という意味もあるんです。仕方ないから、それをたたいてなんとか「ダイコンおろし風」に仕立てた。天つゆは、中華料理屋でもらってきたしょうゆに白ワインを混ぜて作り、催しを乗り切りました。
この時の体験から本格的な料理を作ることに目覚めました。市場に行って買い物をし、料理をするのが楽しくて、「今度はここの市場で食材を買って料理しよう」と、料理が旅の目的になっていったんです。