介護と仕事両立、支援活動で奔走 和気美枝さん
介護離職防止対策促進機構代表理事(折れないキャリア)
「介護しながら働くのが当たり前の社会をつくりたい」。介護と仕事の両立に悩む人たちの相談に乗り、職場研修やセミナーで全国を駆け回る。原点は母の介護で勤め先を辞めた自らの苦い経験だ。
大学を出て不動産業界に飛び込んだ。とにかく仕事好き。マンション建設現場に通い、忙しく充実した日々を送っていた。生活が一変したのは33歳の時。同居する母が突然入院した。
母に家事からお金のやりくりまですべて任せていた。保険や介護の知識はほぼゼロ。親戚に「なぜこんな状態になるまで気付かなかったの」と言われた。何をするのか誰に助けを求めるべきかも分からなかった。
「逃げ出したい」。母と距離を置こうと近くに部屋を借りて別居したこともある。毎日電話して頻繁に様子を見に帰ってはいたが、「これでいいのか」と罪悪感にさいなまれた。何事も面倒になり、「一度リセットしよう」と38歳で勤め先を辞めた。
実家に戻り、医療事務の仕事に就く。入退院を繰り返す母にアルツハイマー型認知症の症状が出始めた。「何度も足を運んだ役所の窓口でやり場のない憤りをぶつけたこともある。今思えば自分で救いの手を遠ざけていた」と苦笑いする。
道が開けたきっかけは偶然知った介護者支援団体。「今のままでいい。あなたは間違っていない」。介護の先輩の言葉に心が軽くなった気がした。「この出会いまでに7年かかった。仕事も辞めずに済んだかもしれない。なぜ必要な手助けや情報が届かないのか」
介護する人が思いを語り合う会を開くところから始めた。「仕事を辞めれば収入や社会との接点が絶たれる。気持ちを切り替えるにも仕事は続けた方がいい」「家族が全部やる必要はない。任せるところはプロに任せて」。自分の失敗談を交え語る。講師に呼ばれる機会が増え、支援や助言に携わる人材育成を始めた。介護離職を防ぐ活動はやがて仕事になっていった。
仕事と介護の両立を「トモケア」と呼んで支援する経団連の報告書づくりに協力。働き盛りが介護で辞めるリスクは共有されつつある。ただ政府が掲げた「介護離職ゼロ」はまだ遠い。「私の仕事がいらなくなるまで頑張り続けるのが使命だと勝手に思っているんです」。笑顔の奥に決意がにじむ。
(聞き手は河野俊)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。