日テレキャスター 40代の暗黒時代脱した自分メンテ
日本テレビの報道番組「news every.」でキャスターを務める小西美穂さんは、目の前に立ちはだかる壁をこれまでいくつも乗り越えてきた。仕事とプライベートへの不安から40代で経験した、長くて暗いトンネルを抜け出した後も、小西さんの前には、新たな壁が現れる。乗り越える術が見つからないと、心や体は弱るもの。小西さん自身も、「心と体が弱っている」ことに気付き……。そんな状況をどう打破したのか、具体的に聞いた。
――40代に入って「キャリアのトンネル」を経験し、女友達との再会をきっかけに仕事以外の世界へと目線を広げることができたというお話を伺ったことがあります。その後、仕事にはどう向き合っていったのでしょうか?
2006年4月、36歳の時に夕方放送の「NEWS リアルタイム」のサブキャスターに選ばれ、4年間、いわゆる「キャリアのキラキラ期」に身を置かせてもらったんです。生放送のスタジオで月曜から金曜まで現場に行って取材してきたニュースを自分の言葉で伝えていました。今振り返っても華やかな時期でした。
しかし、2009年の6月9日のこと。その翌年3月に、番組が終了することが突如決まったんです。私以外の出演者は、夜の番組の担当になったり、政治部や社会部に呼ばれたりと、次々と行き先が決まっていきます。私だけギリギリまで行き先が告げられず、もやもやと焦りが募っていきました。
ようやく年度替わりの直前に言われたのが、「新年度から始まる新番組で、『企画取材キャスター』としてやっていってほしい」という辞令。新番組に継続して出演できるというと聞こえはいいかもしれませんが、「企画取材キャスター」とは、レギュラーではなく「いいテーマを見つけて自分で取材をして企画が採用されたら出てもらう」という不定期出演の立場になったことを意味します。
「企画取材キャスター」という肩書を素直に受け入れて、目の前の仕事に打ち込みました。東日本大震災が発生した直後にはヘリコプターに乗って、5時間もの間、被災地の状況を中継で伝えました。南三陸や石巻で被災した子どもたちの姿に焦点を当てた取材をし、特集企画を放送していきました。
2011年秋からは、昼ニュースの番組デスクをしながら、「ズームイン!! サタデー」に出演していましたが、翌年からはBS日テレで始まった「ニッポンの大疑問」の司会を任されることになったんです。気になる時事問題について、専門家を招いて、視聴者が知りたい疑問に答えていく番組を担当しました。30代の頃、悔し涙に耐えながら乗り越えた司会進行役への挑戦の経験が、「トンネルを抜ける道筋」になっていたのですから、仕事って面白いですね。でも、そこから先、私が「暗黒時代」と名付けている、さらに過酷なステージが待っていたのですが……。
自分立て直しは「体のサインの自覚」から
――暗黒時代? どんなご経験だったのでしょうか?
2013年、BS日テレで「深層NEWS」という新番組が始まりました。今も続くこの番組では、政治、経済、医療などのさまざまなテーマについて、その道のキーパーソンを招いてニュースを深掘りしています。しかも、たっぷり1時間の生放送。高度な進行の技術が問われる番組ですが、私はこの番組の初代メインキャスターに就くことになりました。やりがいのあるチャレンジです。私は「小西さんにやってほしい」と請われることがうれしくて、覚悟を持って引き受けました。
ですが、これが思った以上にとてもきつかった。身の丈以上の、難しくて大きな仕事だったんです。
――それは、どのような「きつさ」だったのですか?
放送終了後のスタッフ会議では、容赦ない注意や指摘が私に向けられました。「いい番組をつくりたい」という思いから厳しい言葉をいただくのは当たり前で成長のためにありがたいこと。でも、気を付けていても、同じような場面で同じミスをしてしまうし、努力しても全く成長できなかった。さらにこの時の私は、とにかく番組を成立させないといけないというプレッシャーに駆られ 、厳しい指摘の数々を受け入れる心の余裕すら持てていなかったのだと思います。同時期に、母が病に倒れて看病生活が始まったこともあって、今思えば精神的にもギリギリな状態でした。
――仕事のプレッシャーに押し潰されそうな状況は、どんな女性でも起こり得ることです。小西さんの場合は、どう対処したのでしょうか?
私の場合は、まず「体のサインから自覚する」ことが自分を立て直すステップのスタートになりました。そのサインを教えてくれたのは、いつも番組出演前に髪形を整えてくれる局付きのヘアメイクさんでした。
ある時、メイク室で進行台本をめくりながらふと鏡を見ると、耳の横の頭皮が赤くなっているように見えたんです。ヘアメイクさんに、「私、頭皮がちょっと荒れているかな?」と聞くと、彼女はちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべて言ったんです。「小西さんが気にするかと思って黙っていたんですけど……、赤くなっているの、そこだけじゃないんです」。ストレスから来る赤い湿疹が頭皮全体に広がっていたのだと気付きました。
その頃は、出勤途中や放送前には緊張からおなかが痛くなることもしばしばでした。放送前まではゼリーしか口にできなくなり、「このままではいつか倒れて番組に穴を開けてしまう」と危機感を覚えた私は、この時初めて、医者にかかろうと思い立ちました。結果、この判断がとてもよかったと思っています。
心から信頼できる主治医を持つ
――どういうお医者さんにかかったんですか?
内科の先生です。同僚のお父さんが胃腸の専門医だったことを思い出し、早速紹介してもらって、クリニックを訪ねたんです。
診察室で初めてお会いしたY先生は穏やかな表情で私と向き合い、胃腸の不調や不眠、頭皮の湿疹、耳鳴りの症状についても、私の訴えをじっくりと聞いてくださいました。
「まずはしっかり眠れるようにしましょう。心も安定していきますからね」と薬を処方し、「参考に読んでみてくださいね」と薄い冊子を渡してくれました。過敏性腸症候群や睡眠障害、うつといった病名が書かれたパンフレットの表紙を見て、「ああ、そういうことか」と、妙に心が軽くなった気がしました。 「困ったことがあれば、いつでも相談してくださいね」という言葉がとても心強く、 私は2週間に1回ほど、クリニックを訪ねるようになりました。
心が弱っている時、定期的に体のメンテナンスを続けることで、私の気持ちは落ち着いて、いつの間にか心も回復していきました。番組では、相変わらず力不足で怒られてはいましたが、健康面を相談できるY先生がいることで、「どんなに心身が弱っても、最悪の状態にはならない」と落ち着きを保てるようになったのです。
――心が弱った時には、体のメンテナンスがおすすめだと。
病院を訪れなくても、体を動かすだけで十分な人もいるかもしれませんよね。いずれにしても、ハードな状況に置かれた時ほど、ちょっとした体の変化を見逃さないことが大切だと実感しました。
心(精神面)と体(身体面)は一体であり、それぞれが影響し合うと思うので、大変な時こそ両方のケアが必要。Y先生は私を窮地から救ってくれた恩人です。今ではすっかりご無沙汰するほど回復した私ですが、「心から信頼できる主治医を持つこと」は長く働き続ける条件の一つだと思います。
「発散ノート」と「改善ノート」で出口探す
一方で、「キャスターとして、いかに技能を磨いていくか」という課題は、私に突きつけられたままでした。「こうすべき」と指摘され、頭の中でイメージできても、いざ生放送でゲストと向き合うとうまくできないんですね。進歩しない自分に対する焦りやいら立ちから、「どうしたら理想に近づけるか分からない。誰か教えてよ!」と叫びたくなることが何度もありました。
ただじっと怒られているだけでは答えはつかめないんですよね。そこで私は一歩踏み出し、自分で答えを見つけにいくことにしたのです。壁にぶつかったら、自分の足で歩いて、答えを探す。これが壁に当たったりつまずいたりしたときに繰り返し思い出す、私の信条なのだと思います。
――答えが分からなければ、自分で情報を取りに行く。まさに「記者魂」ですね。一歩を踏み出した先とはどこだったのでしょうか?
とにかく、その時の自分に足りないと感じたものを学びに行こうと思いました。まず向かった先は、話のプロを養成する学校です。「日テレ学院」なら社員割引で通えるなと調べて……、あ、すみません、関西人なので出費にはうるさいです(笑)。それで受講することにしました。
――それは、一般の人に交じって受講していたということですか? キャスターが隣にいると皆さんに驚かれませんでしたか?
そうですね(笑)。普通に、アナウンサー志望の大学生たちに交ざって授業を受けていたので、身元を明かすと驚かれたこともありましたね。
ここでは演劇や通信販売の口上といったさまざまなアプローチから「しゃべり」の基礎を習いました。さらに講師の中から自分に合う先生を見つけて、個人レッスンをつけてもらいました。決して安くはない投資でしたが、やってよかったですね。なにより、「私、着実に成長できている!」という実感が、それまであった不安やプレッシャーを落ち着けてくれました。会議室でどん詰まりになったままでは吸収できなかった学びとたくさん出合えました。
それ以降、私はどんなに行き詰まったときでも、「解決法はきっとどこかで見つけられる」と思えるようになったのです。さらにこの時、仕事ができない悔しさをバネにして身に付いた習慣がもう一つあります。それは、「ノートをつけること」。「発散ノート」と「改善ノート」という2種類のノートを使って、自分の感情を紙の上で発散し、行動の改善につながるヒントをまとめていく習慣ですね。
キャリアを積んでも「できない自分」に素直に向き合う
――「できない自分」に真正面から向き合わざるを得ないときの対処法を、小西さんは自分の力で発見し、身に付けていったのですね。
できない自分と向き合うのは嫌な作業ですよね。私も嫌です(笑)。誰でも、できれば避けて通りたいものだと思います。
それも新人ならともかく、ある程度キャリアを積んでから仕事の壁にぶち当たると、プライドも邪魔して、素直に自分のダメな部分を受け入れられなくなっていることもあると思います。
けれど、要は心の持ち方次第なのかな、と思うのです。いくつになっても、「どうしたらもっとうまくいったのか」と向き合い続ける自分でありたいと思っています。
女性のキャリア人生はこれからどんどん長くなるといわれています。だからこそ、私はいつまでも成長できる自分でありたいなと思うんです。どんな経験でも自分をよりよく成長させる材料だと思えば、前向きな一歩が踏み出せるはずですから。
今、思えば、この「暗黒時代」を経験してよかったと思っています。人はつらい経験をするたびに、他人の心に敏感になれます。そして逃げずに自分の力で踏ん張った分だけ、体力も筋力もつくのだと信じています。
でも、大事なのは、たった一人で頑張らないこと。
まずは自分の体と心の声に耳を傾けて、周りの人をたくさん頼って、「解決法はどこかできっと見つかる」と信じて歩き出してみる。思わぬ行動が、心を落ち着かせ、視界を広げるきっかけになることはたくさんある。経験者として、おすすめします。
日本テレビ解説委員・キャスター。1969年生まれ。読売テレビに入社し、大阪で社会部記者を経験後、2001年からロンドン特派員に。帰国後、政治部記者を経て日本テレビ入社。BS日テレ「深層NEWS」ではメインキャスターを約3年半務め、現在は報道番組「news every.」でニュースを分かりやすく解説。関西出身の親しみやすい人柄で支持を集める。新著の「小西美穂の七転び八起き」(日経BP社)では、自身の仕事とプライベートの転機、キャリアの行き詰まりからの脱出法などをリアルに書き、多くの働く女性から大きな共感を呼んでいる。インスタアカウントはmihokonishi69
(ライター 宮本恵理子、写真 稲垣純也)
[nikkei WOMAN Online 2018年10月9日付記事を再構成]
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