きょうのお客さんは… ベテラン噺家がスベらないワケ
立川吉笑
「その日にしゃべるネタはいつ決めるんですか?」と聞かれることがある。
あくまで僕は、という話になってしまうけど大前提として、どのネタをしゃべるか決めるタイミングは場合場合によって変わる。まぁ当たり前の話だ。
ただ、「完全にまっさらな状態」で高座に上がって、「まくら」というアイドリングトークをしゃべりながらその日のお客様の雰囲気を見て、その後演じるネタを決めることはほとんどない。
一方で一週間前からあの日はこのネタをやろうと決めて、入念に稽古を重ねた状態で当日の高座に上がり、予定していたネタをやることもほとんどない。
■ネタもまくらも、話し方も変えていく
一番多いのは「今日はこの噺(はなし)を演(や)りたいなぁ」と2席か3席ほどの候補を持って家を出ることのように思う。あらかじめぼんやり決めておいて、あとは会場入りして自分がトップバッターじゃない場合は前の方の高座と、それを受けてのお客様の反応を見ながら、自分がやるネタを絞っていく。それも、高座に上がる前に「よし、これをやるぞ」と完全に決め切るわけじゃなく、「たぶんAというネタをやろう、でもまくらの反応によってはBに変えるかも」というくらいの、少しゆとりがあるくらいで高座に上がる。
落語家の技術の一つにネタの選び方があるように思う。
圧倒的なクオリティーの一席があれば、お客様の雰囲気など無視して自信あるネタを真正面からぶっ放してドカンと笑いをとることができるだろうし、また売れっ子落語家さんの独演会のように演者と観客の信頼関係がすでに出来上がっている場合は、演者はやりたい落語をやり、またお客様もそれを望んでいるという、とても幸せな空間が形作られることになる。
僕のような若手落語家の場合は、まずそんなことは不可能に等しくて、実際は普段の稽古で武器(=ネタ)を一生懸命磨くだけじゃなく、その日の客席にはどの武器で攻めるのが効果的なのか分析・判断し、本番に挑むことになる。
同じ武器でも、客席の雰囲気によって与えられる印象が全然変わってしまうのは落語家なら誰もが知っていることだ。いつも通りちゃんと演れているのに全然ウケない時もあるし、反対にいつも通り演っているだけなのに、びっくりするくらいウケるときもある。
だからこそ「ネタの質を高める」のと同じくらい「どのネタをやればいいか見極める」力を養うことが大事になってくる。
複数人の落語家が出演する会のとき、若手の僕は前半に高座に上がることが多い。
高座を終えて楽屋に戻ると、出番を待たれている師匠方から「どんなお客さんだった?」と聞かれることが結構ある。
キャリアもあって圧倒的に面白いパフォーマンスができる師匠クラスの方でも若手の僕にその日のお客様の様子を尋ねてくるくらい、ネタ選びは重要だということだ。
そして、師匠方からお客様の様子を尋ねられるたびに、自分のアンテナ感度の鈍さにがっかりする。例えば「温かいお客様でした」とか。例えば「ちょっと重たい感じでした」とか。「子供が何人かいました」とか「お年寄りが多めでした」とか。僕が今持っているセンサーだとおおよそそれくらいのことしか感知することができない。
こうやっていつも無意識でやっている作業を文章にしながらひもといていくと、僕が客席を見て感じ取れているのは
「温かいお客様」=笑ってもらいやすいから自信を持ってネタを演ろう
「重たい感じがする」=ドカンと笑いやすいまくらで様子をうかがう。それで盛り上げられたら、そこを手掛かりに圧の強いネタ(大きなツッコミが入るネタなど)で少しでも笑ってもらえるように頑張る。笑いやすいまくらでも一切反応がなかったら、あまり強いツッコミとか、あからさまなボケが少ないネタにする(スベるリスクを減らすため)。そして、修行の一環と思い込み、気持ちを強く持ってたんたんと落語を進める。
「子供がいる」=子供を射程に入れる場合は、艶笑系のネタは避ける。動きが大きいネタや使う声色やトーンの変化が多いネタにする(子供は音の変化で笑ってくれがち)。子供とおじいちゃんおばあちゃんくらいの高齢者とが点在している客席だったら、子供がケラケラ笑うのを見て連鎖的におじいちゃんおばあちゃんも楽しんでくれることが多いから、子供を楽しませる方向にシフトする。
「お年寄りが多め」=いつもよりゆっくりしゃべる。入り組んだストーリー展開よりは、わかりやすくボケて、それをツッコんでという感じのネタにする。
「押した笑いで反応があるか、引いた笑いで反応があるか」=前の方が押した笑い(大きな声とかわかりやすい表情の変化とか)でウケていた場合は、自分もそちら側の要素を増やす。
くらいのことのような気がする。
もちろんここで書いたのは一般的な目安だから、おじいちゃんおばあちゃんが多い現場なのに、いつもの若者中心の劇場で演るようなネタがドカンドカンウケる場合もあったりと、その時々で状況は変わるけど、おおむねこういう感じで自分はネタ選びを判断している。
■物をいうのは経験の蓄積
そして判断の基準になっているのはこれまでの経験則が中心であることは間違いない。落語家として日々高座に上がっているうちに、もちろん毎日客席の雰囲気は変わるけど、「あの時と似ているな」と感じられることも少しずつ増えてくる。そういったこれまでの積み重ねを頼りに、少しでもお客様にフィットするネタを選ぶ努力をする。
そして、百戦錬磨の師匠方になるとトライアンドエラーの蓄積量が僕とは桁違いだからおのずと客席の雰囲気を感じ取るセンサーの解像度もずば抜けて高い。
僕は漠然と「重たい感じがする」くらいにしか読み取れないけど、師匠方はもっときめ細やかに客席の雰囲気を読み取られているに違いない。そして、そんなきめ細やかな分析に応えられるだけのネタのストックや演じ方のバリエーションが豊富だから、そう簡単に高座でスベることはない。
どんな場所で絶対ウケる圧倒的な一席を習得することにも憧れがあるけど、それ以上にどんな場所でもきっちり対応してお客様を喜ばせることができる、そんなしなやかな落語家になりたいと思っている。
本名、人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。180cm76kg。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年04月、二ツ目に昇進。古典落語のほか、軽妙かつ時にはシュールな創作落語を多数手掛ける。立川談笑一門会やユーロライブ(東京・渋谷)での落語会のほか、水道橋博士のメルマ旬報で「立川吉笑の『現在落語論』」を連載する一方、多くのテレビ出演をこなすなど多彩な才能を発揮する。
これまでの記事は、立川談笑、らくご「虎の穴」からご覧下さい。
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