ピアニスト藤田真央 10代最後のショパン
ピアニストの藤田真央さん(19)が10代最後のCDを5月に出した。通算3枚目。得意のモーツァルト作品に加え、ショパンの曲にも挑んだ。2017年にスイスの第27回クララ・ハスキル国際ピアノコンクールで第1位となった若手実力派。20代への抱負と方向性について聞いた。
「モーツァルトをもっと弾きたい」。東京音楽大学で学ぶ藤田さんは、最も思い入れのあるモーツァルトから語り始めた。見た目も話し方も今どきの普通の大学生だ。「個人的にはモーツァルトのピアノ協奏曲を弾きたい。27曲もあるのに日本ではなかなか弾く機会がない」。協奏曲はオーケストラとの共演になるので「弾かせてくださいとはなかなか言えない」。演目について指揮者やオーケストラを説得し我を通すのは、学生として分不相応とわきまえている気配だ。
■クララ・ハスキル国際ピアノコンクールで優勝
しかし藤田さんは我を通してもいいほどの実力を10代にして証明してきた。決定打は昨年のクララ・ハスキル国際コンクールでの優勝だ。2年に1回開かれる同コンクールの歴代優勝者にはクリストフ・エッシェンバッハ氏やミシェル・ダルベルト氏など当代一流のピアニストが名を連ねる。藤田さんは日本人では坂上博子さん、河村尚子さんに続く歴代3人目の優勝者になった。
クララ・ハスキル(1895~1960年)はルーマニア出身の高名な女性ピアニスト。古典派と前期ロマン派、とりわけ古典派のモーツァルト作品で20世紀最高水準の演奏芸術を生み出した。イーゴリ・マルケヴィチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団とのモーツァルト「ピアノ協奏曲第20番&24番」は名盤中の名盤といわれる。
「クララ・ハスキル国際で優勝できたことを本当に誇りに思う」と藤田さんは言う。モーツァルトを得意にしたピアニストにちなむコンクールである上に、特異な選考に共感してもいるからだ。まず課題曲として前期ロマン派のシューマン最晩年のピアノ曲集「暁の歌」(作品133)を出場者全員が弾かなければならない。さらにはスカルラッティ、ベートーベン、ハイドン、モーツァルトのソナタを弾く。「古典がベースにあるコンクールで優勝できたのは音楽家として一番うれしい」。こうした作品群を弾きこなせばハスキルが現代によみがえるといったイメージだ。
5月23日リリースの「passage(パッセージ)」(発売元ナクソス・ジャパン)は同コンクール優勝後初めてのCDでもある。モーツァルト「ピアノソナタ第18番ニ長調K.576」とショパン「ピアノソナタ第3番ロ短調作品58」を中心に据え、シューマンとリストの曲も加えて計7作品を収録した。中でもモーツァルトの「ピアノソナタ第18番」は「僕が非常に重きを置いている作品」であり、同コンクールでも弾いた。
藤田さんのモーツァルト「ピアノソナタ第18番」は音がくまなく澄み切っていて、リズムもインテンポではっきり刻まれて爽快だ。響きが明瞭なためか、作曲場所のウィーンよりも、アルプス山脈の南斜面の陽光豊かな土地を思わせる。地中海に近い南フランスの明るさを漂わせるハスキルのモーツァルトにも通じる。ハスキルのような素晴らしいピアノ演奏では、いくつものまばゆい真珠が転がるようにモーツァルトの曲が鳴るが、藤田さんの演奏でも速い第1楽章「アレグロ」が特にそうなっている。
■ショパンとモーツァルトを対照させた3作目CD
第2楽章「アダージョ」でも、遅いテンポの中で一音一音がそれぞれのリズムの役割を担って明快に鳴る。もの悲しい短調の部分でも音色が澄み切っているため、かえって憂いが謎めいてくる印象を与える。第3楽章「アレグレット」は中間のテンポで古典派の形式美を克明に伝える。全3楽章を通してまさにモーツァルトの音楽の本質を浮き彫りにしている。
「モーツァルトの作品は音数が少ないので、わりと演奏家の個性が出やすい」と指摘する。「ハイドンが確立したソナタ形式にのっとりながらも遊びがある。演奏家としても味を出せる。大好きな作曲家だ」。今回録音した「ピアノソナタ第18番」については「モーツァルトの最後のソナタ。今までモーツァルトが書いてきた様々なものを凝縮させている」と話す。そしてとりわけ特徴として「半音階を多用している」という点を挙げる。
この曲と組み合わせて前期ロマン派ショパンの「ピアノソナタ第3番」を収録しているのは意外感があるかもしれない。しかし「ショパンのソナタ第3番も半音階を多用している」ところが両曲を結び付けるという。「この曲も第1楽章が半音階だらけ。半音階を多用してモーツァルトがやったように、ショパンも調を様々に動かしている。モーツァルトとショパンは似通っている部分がある」と分析する。その上で「この2つの作品を照らし合わせながら、リストの『ハンガリー狂詩曲第2番』やシューマン作曲・リスト編曲の『献呈』など、バランスのいい曲を選んだ」。こうして完成した今回のCDを藤田さんは10代の集大成と位置付ける。
ショパンは藤田さんにとって新たな挑戦だ。「モーツァルトは楽しい。彼の音楽はオペラみたいにすぐにいろんな場面に転換するから。でもショパンは非常に難しい作曲家だ。もともとのベースがある形で、テンポやいろんなメロディーラインを考えて動かさなければいけない」。やや理解しにくい説明だが、曲の土台や原型がしっかりある中で、曲の速度やリズムを自由に動かして感情表現をしなければならないということのようだ。テンポルバート(曲の速度の自由な加減)という奏法を指しているのだろう。
■ショパンへの挑戦から始まる20代の音楽活動
マズルカやワルツのようなポーランドの民族舞曲がショパン作品の背景にあることも、演奏が難しい点として挙げる。「踊りのリズムを知らなければならない。ポーランドのダンスを踊った経験もない日本人がショパンのマズルカやワルツを弾くのは一苦労だ。その上であの哀愁深いメロディーの味わいを出すのはさらに難しい」。それは感情面での難しさともいえる。通じる部分もあるとはいえ、やはりモーツァルトとは対照的な要素も詰まっている音楽といえそうだ。
しかし、あえて対照的なショパンに挑むことが20代のキャリアを開くカギを握る。「モーツァルト弾き」に安住することなく、「今後もずっとショパンを弾き続ける」と語る。藤田さんの弾くショパンの「ソナタ第3番」はモーツァルトと同様に音がくっきりと浮かび上がり明快だ。緩やかな第3楽章では特に、音色が軽やかなため、一音一音を克明に弾いていても、自由に揺らぎを生じさせて感情の起伏を表現しているように聞こえる。そこが彼の若さにもかかわらず、大人のロマンチシズムを感じさせるショパンに仕上がっている理由かもしれない。
「ショパンの魅力は旋律の美しさ。右手で旋律、左手で伴奏の古典派とは異なり、曲のどの部分でも美しい旋律を歌えるように弾く必要がある」。もちろんショパンについてはまだ進化の途上であろう。だが、モーツァルトをはじめ古典派に精通したピアノ奏法の中から、彼独自の新しいショパンの演奏芸術が生まれてくるかもしれない。
2016年に亡くなったピアニスト中村紘子さんから高い評価を受けてきた。16年には中村さんが音楽監督の「第20回浜松国際ピアノアカデミー」を受講し、同コンクールで第1位を受賞した。1965年の第7回ショパン国際ピアノコンクールで第4位に入賞した中村さん。その時の優勝者はマルタ・アルゲリッチさんだった。最晩年の中村さんから薫陶を受けた藤田さんは果敢にショパンにも挑み続ける。これからようやく20代が始まる。20代初めはショパンが故国ポーランドを去ってウィーンへ、そして永住の地フランスへと向かった年ごろだ。モーツァルトの先にショパンがあり、新たな活躍の舞台が広がっていきそうだ。
(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)
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