「常に現状打破」川内選手32歳でプロに(有森裕子)
皆さんこんにちは。梅雨のシーズンで、屋外で走る練習ができない日が続いている人も多いと思います。この時期は、日々の生活の中での階段の上り下り、腹筋・背筋やスクワットといった補強トレーニングにしっかり取り組んでいきましょう。
東京五輪のマラソンコース 最後の上り坂でドラマも?
さて先日、待ちに待った2020年東京オリンピックのマラソンコースが発表されました(コースマップは大会組織委員会のホームページに掲載)。新国立競技場をスタートした後、日本橋などを通過して東京スカイツリーを望む浅草・雷門の前を折り返し、銀座や新橋を通って南下します。東京タワーのそばにある増上寺の付近で折り返したら、今度は皇居外苑に向かい、二重橋前で再び折り返して新国立競技場へと戻ります。東京マラソンのコースをベースに、新国立競技場をスタートとフィニッシュ地点に据えた、東京の観光名所を世界に発信できるコースになりました。
スタートからしばらくは、なだらかな下りが続く、選手にとっては走りやすいコースです。全体的にアップダウンが少ない平坦な道が続くため、高速レースが期待できるはずですが、当日の天気はもちろん、真夏の8月の開催なので、スタート時間も選手のコンディションに大きく影響するでしょう。
また、終盤の37キロからは高低差約33メートルの上り坂ですから、駆け引きなどによりドラマチックな展開が見られるかもしれません。選手は大変でしょうが、観戦する側にとっては都内の景色を含め、見どころのあるコースといえるでしょう。
誰もが驚いた川内優輝選手のプロ転向
コースが発表されたことで、"いよいよ"という高揚感からモチベーションが上がった選手もいると思います。特に男子マラソンでは、2018年2月の東京マラソンで2時間6分11秒のマラソン男子日本記録を出した設楽悠太選手(Honda)を筆頭に、井上大仁選手(MHPS)、大迫傑選手(Nike ORPJT)ら有力選手がひしめき合い、賞金制度の影響も受けて全体のレベルが少しずつ底上げされています。
そんな誰が代表になってもおかしくない中で、先日世間を驚かせたのが、公務員ランナーの川内優輝選手(埼玉県庁)のプロ転向宣言でした。
川内選手は、2018年4月のボストンマラソンで、2017年夏のロンドン世界選手権で金メダルに輝いたジョフリー・キルイ選手(ケニア)といった世界の強豪を撃破し、日本人男子として瀬古利彦さん以来31年ぶりとなる優勝を果たしました。
その快挙だけでも十分インパクトのある出来事だったのですが、帰国後の記者会見で同選手は、「来年の4月から公務員をやめて、プロランナーに転向する」と、突然、プロへの転向を発表しました。公務員ランナーとして走り続けることにこだわりを持っていた彼だからこそ、誰もが驚いたニュースだったと思います。
記者会見で彼は、「常に『現状打破』を目標にしてきたが、世界大会では入賞に届かず、5年間自己ベストを更新できていない状態に自己矛盾を感じていた」と話しました。その矛盾を解消して世界で戦うためには、今のままでは厳しいと感じ、思う存分練習に専念できる環境を作りたいと考えたのでしょう。
私たちには突然の告白に思えましたが、彼にとっては、実業団ではなく、公務員との二足のわらじというスタンスを長い間貫いたからこその判断です。川内選手は、指導者をつけず、多くのランナーと一緒に走るマラソンレースをトレーニングの一環と位置付けて、頻回に参加するスタイルをとってきました。恐らく記録を伸ばすために自分なりに考えつく限りのことを試してきたのだと思いますが、5年もの間、現状を打破できなかったことに、ずっと悩んでいたのだと想像します。
正直にいえば私は、彼が公務員ランナーとして走ることに、これからもこだわり続けると思っていましたし、自己ベスト更新や世界でのメダル獲得にそこまで執着しているとは思いませんでした。実際、2017年には日本代表からも引退すると表明していました。でも、ボストンで結果を出したことをきっかけに、やはり日本代表として世界で戦いたいという思いが募り、プロになるタイミングを見いだしたのでしょう。
プロになるとは、走ることが仕事になるということ
ところで、「プロランナー」とは、どんなランナーのことをいうのでしょうか。
そもそも日本の陸上競技界にはプロ登録の制度がなく、「プロランナー」という言葉には明確な定義がありません。とはいえ、どんな競技においても、「プロ」になるということは、それが完全に「仕事」になるということを意味します。
走ることが生業となり、走ることで報酬を得るのですから、周囲や世間からの評価も当然ながら厳しくなります。プロになると、好きなだけ練習ができて「自由が利く」というイメージがあるかもしれませんが、そんなことはありません。スポンサーがつき、「勝つことが全て」となるので、レースの数を絞って、ピンポイントで確実に結果を出していく必要が生じるでしょう。
また、企業に就職する実業団選手とは異なり、プロはスポンサー契約などで活動資金を得た上で、練習メイトや指導者、トレーナー、栄養士、エージェントなどを自分で探し、報酬を支払って、自分の力や技術を伸ばしていくスタイルになるかと思います。私自身も1996年のアトランタ五輪を終えてからプロになりましたが[注1]、自分の競技を自分で組み立てていくという、いわばマネジメント力やプロデュース力も必要になるはずです。
32歳でのプロ転向は遅いのか?
今後、川内選手が誰かの指導を受けるかどうかは分かりませんが、五輪の舞台で本気で勝ちたいのであれば、ただ練習時間を確保するだけでは難しいと私は思います。今まで以上に追い込んだ練習は必須です。
また、先日のボストンマラソンは、天候や気温などのコンディションが悪い中での優勝でしたが、彼は寒い中でのレースには強いものの、暑さにはあまり強くない印象があります。8月の東京五輪で勝つには、やはり苦手な面を克服するための客観的なアドバイスも必要になるはずです。彼の強さをもっと引き出してくれるような練習パートナーや、彼の走りからさらなる発見をして的確なアドバイスをしてくれる指導者を、1日でも早く見つけることが、現状を打破するためのカギになるように思います。
プロになったがゆえにのしかかるプレッシャーも心配されますが、彼の強みは、応援してくれる人が絶えないことです。公務員ランナーとして、数々のレースに積極的に参加した下積みともいえる時期に、彼は不屈の精神を見せてきました。練習だろうが試合だろうが、真面目に全力でやり抜く意志の強さや、多くの試合に出場しても潰れないタフさは彼の強みであり、魅力でしょう。そんな彼の走る姿勢に心打たれた人は多く、圧倒的な人気につながっています。
公務員ランナー時代に培った財産は、プロになってもきっと彼の後押しとなっていくはずです。「32歳からのプロへの転向は遅いのでは?」という声もあるようですが、私は彼のこれまでの歩みを見ても、決して遅くないと思っています。
東京五輪のコースは、暑さと終盤勝負の耐久レースになると思います。もし彼が代表に選ばれた場合、世界各地のレースを経験した実績とプロとしての成長が、どのように勝負の走りにつながるのか、楽しみです。焦らずに挑戦していってほしいと思います。
(まとめ:高島三幸=ライター)
[注1] プロ宣言を行い、CMに出演するなど、事実上日本の「プロランナー」第1号となった。
元マラソンランナー。1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。
[日経Gooday2018年6月12日付記事を再構成]
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