「男性と同じである必要ない」 バリキャリから脱皮
カレイディスト 代表取締役 塚原月子さん(下)
旧運輸省時代は泊まり込みも珍しくなかったという
「自分の頭だけで考えるな。他人の頭を使え」――。旧運輸省(現国土交通省)、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)、NPO(非営利団体)を経て起業した塚原月子さんが上司からそう指摘されたのは30歳代のはじめ。キャリア官僚からBCGに転じて間もなくのことだった。(前回の記事は「衝撃受けたNYの多様な働き方 日本で浸透めざし起業」)
経済摩擦が絡む案件で泊まり込み
塚原さんが旧運輸省に入省したのは、1995年春のことだった。2年目に国際交渉を担当する部署へ異動した。担当したのは、港湾運送関係の経済摩擦が絡む案件だ。連日、オフィスに泊まり込んでの作業が続いた。
「それでもまあ、ご飯は食べなくてはならないわけです。当時は週に1回、近くのラーメン屋さんに行くのが唯一の楽しみでした。眠気ざましになるだろうと思い、栄養ドリンクを1日3、4本は飲んでいました」
塚原さんばかりではなく、当時は部局全体がそんな感じの働き方で、それに疑問を感じる余裕さえなかった。
「客観的に見ればそんな働き方やめればいいのにと思いますよね。ただ、今になって振り返っても、渦中にあるときはそう思うことさえ難しかっただろうとは思います。もともと人の役に立つ仕事がしたくて役所に入ったわけです。それなりに使命感を持てる仕事でもあったので、働き方を見直そうとは当時、全く思っていませんでした」
ビジネススクールでの体験が転職の下地に
人事院の留学制度に手を挙げたのも、純粋に「役所に足りないものを学んで持ち帰ろう」と思ったからだった。
「英語の試験を受け、ある一定以上の点数を取ると人事発令が出て渡国先が決まるのですが、私の場合、行き先は米国ですと言われ、そこから慌てて留学先を探しました。仕事と並行して半年間くらい受験勉強をし、10校くらい受けてようやく2つ合格。選んだのがダートマス大学のビジネススクールでした」
9月に入学すると、早くも10月から企業がリクルーティング活動と称してやってきた。
「『何だろうこれは』と驚きました。よくよく聞いたら、同級生のほとんどは就職先をつかむためにビジネススクールに来ていたんです。就職活動をしなくてもいい学生は、私を含めて少数派でした」
民間企業に転職するつもりはなかったが、「せっかく来たのだし、ほかの人が経験することを経験しない手はない」と思い、日英バイリンガル向けの企業合同説明会「ボストンキャリアフォーラム」をのぞいた。BCGから最初にスカウトされたのも、そのときだ。「意外とおもしろそうな仕事だ」と感じた。ただし、その時点では役所に戻ると決めていたので、いったんは誘いを断った。
2001年夏、日本に帰国すると、運輸省は中央省庁再編に伴い、「国土交通省」に変わっていた。実際にBCGに転職したのはそこから約3年間、勤務した後だ。
「(BCGからの誘いを)断っても、気にはなっていたんです。留学先で出会った同級生たちがキャリアを真剣に考えているのを見て、改めて自分はどうなのだろうと思いました。役所の仕事はやりがいがありましたけれど、自覚的にキャリアを考えたことはあまりなかった。頑張ればその分、評価されるのだろうという感覚はあっても、欲しいチャンスを自分で取りに行くという感覚はなかったんです」