元バドミントン選手・潮田玲子さん 母の一言に奮起

1983年福岡県生まれ。小椋久美子選手との女子ダブルスペア「オグシオ」で2008年の北京五輪でベスト8。バドミントンの普及や試合解説のほか、テレビのコメンテーターとしても活躍。
1983年福岡県生まれ。小椋久美子選手との女子ダブルスペア「オグシオ」で2008年の北京五輪でベスト8。バドミントンの普及や試合解説のほか、テレビのコメンテーターとしても活躍。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は元バドミントン選手の潮田玲子さんだ。

――バドミントンを始めたのは、お母様に勧められたからだそうですね。

「小学校1年生のとき、母がコーチをしていた地元のジュニアクラブに入りました。将来、選手になることを見据えてやっていたわけではありません。ほかにピアノもやっていたので、バドミントンも習い事のひとつという感覚でした」

「中学からは部活動でバドミントンをやり、ジュニアクラブでも練習を続けました。どんどん力がついていくので楽しくてしょうがない。中学3年生で女子シングルで全国優勝を果たし、バドミントンの強豪校、九州国際大学付属高校に特待生で入学することができました」

――高校時代はハードな生活だったとか。

「片道1時間半かけて通学しました。朝7時に電車に乗らないと間に合わない。練習は午後4~8時で、帰りは遅いときは11時になる。学校の寮に入る選択肢もあったのですが、親元を離れたくなかったので。母が毎日、自宅から最寄り駅まで車で送り迎えをしてくれました。ありがたかった」

「高校卒業を前に実業団チームの名門、三洋電機から誘いを受けました。自宅に関係者が来られて、『娘さんを必ず、オリンピック選手に育てます』とおっしゃるんです。母は『あなた、オリンピックに出るような選手なの』と私の顔をみつめました。うれしかったのだと思います」

――三洋時代は、お母様とよく電話で話したそうですね。

「会社と練習場は大阪で、当時、横浜に住んでいた母に愚痴を聞いてもらいました。実力を認められて入ったものの、高校と社会人のレベルの差は歴然。精神的にもつらくて、あるとき『もうバドミントンをやめたい』と母に漏らしたんです。すると、母は『そんなにいやならやめれば』と突き放す。言われて逆に『そう簡単にはやめられない』と、奮起しました。負けず嫌いな私の性格をわかっていたのかな」

――2012年に現役引退を表明。28歳、まだまだできるとは思いませんでしたか。

「転戦で息つくひまもなく、もう、いっぱい、いっぱいでした。両親も、同年に出場したロンドン五輪が終わったら引退すると考えていたようです。両親は海外の試合にもきてくれ、一番のファンとして応援してくれました。『楽しませてもらった』と言われたときは、ああ親孝行ができたなあと思いました」

「夫はサッカー選手で、子供は上が男の子、下が女の子。まだ小さいんですが、ぜひスポーツをやってほしい。スポーツは私の家族のように、絆を育みますね。ただ、やるならバドミントン以外でと思っています。バドミントンだと、私が口うるさくなりそうなので」

[日本経済新聞夕刊2018年5月22日付]

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