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ビジュアル音楽堂

2018/4/14

ビジュアル音楽堂

ドビュッシー作品の演奏で高い評価を受けてきた花房さんだが、「ドビュッシーを意識して演奏し始めたのは20代になってから。若い頃は何がいいのかさっぱり分からなかった」と正直に明かす。「自分の性格からして白黒はっきりしているのが好きで、曖昧なのは嫌い。だからかつてはチャイコフスキーやラフマニノフの方が断然好きだった」

いくらでも高みに行けるぜいたくな音楽

しかしフランスに暮らすうちに「言葉が分かるようになり、絵画やファッションなど美しいものを生み出すフランス人のセンスを私なりに理解できるようになって初めて、ドビュッシーの音楽の良さを感じられるようになった」。演奏には「センス」という技術が必要なのだ。

ドビュッシーについて語るピアニストの花房晴美さん

「ドビュッシーはぜいたくな音楽」とも指摘する。豪華で派手な音楽という意味ではなく、「いくらでも高みに行ける音楽」であるからだ。高みに上っていくためには「美を生み出すセンスを理解し、音楽の裏付けとなる明確なビジョンを持たなければならない」。それは「お金で買えるぜいたくではなく、目に見えないぜいたく」なのだ。そういう意味で「最もぜいたくな音楽の一つ」と花房さんは主張する。

ドビュッシーの作品は、大掛かりな編成や構造で盛り上げて聴き手を感動へと導く音楽とは対極にある。マーラーが自らの指揮で感動巨編といえる自作「交響曲第2番『復活』」をパリで初演した際、臨席していたドビュッシーが途中で帰ってしまったという逸話は有名だ。目指す音楽が全く異なっていた証左だろう。

しかし、ドラマチックな山場に乏しく、淡々として激さないイメージのドビュッシーの音楽にも「フォルテ(強く)やフォルティッシモ(非常に強く)はちゃんと存在する」と花房さんは説明する。「フォルテを鳴らすのは怖し、鳴らさずに済ませるのも簡単。そのほうがドビュッシーらしいと思われるくらい。でもそのフォルテを鳴らさなければ、本物のドビュッシーにはならない」

今回の映像で花房さんは「亜麻色の髪の乙女」と並んで「前奏曲集第2巻」から第12曲(終曲)「花火」も弾いている。「花火を見たことがない人はいないと思うので、イメージするのはやさしい」。明確なビジョンをもって表現しやすく、比較的分かりやすい曲といえる。だが花火のように瞬間的に放たれる響きは、現代音楽と呼べるほど斬新だ。彼女が微細なニュアンスを施して弾く終結部は、ロマン派音楽の感動とは異質の、花火が散りゆく澄み切った空間の芸術美を聴かせている。

ドビュッシーにはカフェのBGMやテレビCMなどに盛んに使われる親しみやすい曲も多い。気軽に聞き流せる曲もある。弾くのも聴くのも比較的容易に思える。しかしその曲が表現している本当の世界を知ろうとすると、つかみどころのなさに戸惑うのも事実だろう。「亜麻色」がどんな色か想像するのさえ案外難しい。演奏家のセンスと技量がここで問われる。花房さんは「分からないままにせず、本物のドビュッシーを形にして届けたい」と抱負を語る。没後100年の今年、ドビュッシーの美の形が新鮮に浮かび上がる。

(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)

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