三越伊勢丹の前社長が学んだ「元祖セレクトショップ」サンモトヤマ創業者「長さん」の教え(上)

2018/2/19

2003年、伊勢丹新宿本店が「男の新館」を「メンズ館」に改装した際、担当者だった大西さんは、ラグジュアリーブランドの仕切りを取り払い、共通空間に展開する売り場デザインを実現した。これも、茂登山さんに感化されたところがある、と大西さん。当時、世間はブランドブームに沸き、大型の路面店が次々と開業した。「それでも茂登山さんは世界中で名品を探し回り、新しい編集売り場を作り続けていました」。その姿は大西さんの目にまぶしく映った。

■欧州で「本当の一流品」に触れる

「茂登山さんはいつも、マオカラーのジャケットを着ていたのが印象的。マオカラーがはやったときにインタビューしたこともあります」と話す前三越伊勢丹ホールディングス社長の大西洋さん

サンモトヤマは55年、有楽町で舶来品の店として産声を上げた。57年に日比谷に移転し、朝日、読売、毎日の各新聞社や帝国ホテルに集まる文化人、経済人の顧客を抱えた。当時の品ぞろえは米国製が中心だったが、ある一人の傑物との出会いが茂登山さんの転機となる。

日本の報道写真の草分けで、戦前のドイツでも活動した名取洋之助氏だ。店の顧客となった名取氏は「本当の一流品があるヨーロッパを見てこい。芸術に触れ、高級ホテルに泊まり、ウインドーショッピングしろ」と諭し、茂登山さんの背中を押した。その教え通り、59年に欧州を初めて訪れ、自らの目で豊かな街並みを確かめ、奥行きのある伝統文化に触れた。

以降、パリやミラノを訪れては、これぞと思うブランドの本店に何十回と通い、商談をもちかけた。熱意と人柄でオーナーを動かし、62年にグッチ、64年にはエルメスと販売権を次々獲得。当時、サンモトヤマは日本人にとって欧州ファッションの代名詞となった。

■若い百貨店マンにも欧州ブランドを熱く語る

学生時代は米国のトラッドスタイルを好んだという大西さんは79年、伊勢丹に入社し紳士服担当となった。当時、日本のファッションの主流は米国から欧州への移行期。DC(デザイナーズ&キャラクター)ブランドブームが到来し、「コム・デ・ギャルソン」の川久保玲氏、「ワイズ」の山本耀司氏ら日本人デザイナーが台頭した時期でもあった。百貨店には高級ブランドを扱う特選フロアが設けられた。ただ、「ブランド品は名前こそ知っていても、まだまだ心理的な距離がありました」。

「ラグジュアリーブランドの話を聞くなら茂登山さんのほかにはいない」。入社3年目のころ、アシスタントバイヤーだった大西さんはそう考え、面会を申し込んだ。

初対面の若い百貨店マンに対し、茂登山さんは欧州ブランドについて熱く語った。感心したのは数々の体験談。例えばグッチを口説き落とした際の逸話だ。

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