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World Food Watch

インドネシア料理ひと筋 戦後老舗の味も、最新の味も

2018/2/8

ルンダン 2017年に米CNNのウェブサイトで、読者が選ぶ世界の料理ベスト50のNo.1に選ばれた料理

最近街角でよく見かける東南アジア料理店といえば、タイ料理やベトナム料理店。でも、日本でまず知られるようになったのは、インドネシア料理だったらしい。

「これは、1966年発行の各国料理本なんですよ」と、紙が黄ばんだ一冊の本を見せてくれたのは東京の目黒と武蔵小山でインドネシア料理店「CABE(チャベ)」を夫婦で営む大平正樹さん。『世界の料理あれこれ』というその本には、ほとんどがフランスをはじめとする欧米料理である中、東南アジア料理として唯一インドネシア料理が掲載されていた。

インドネシアは太平洋戦争の間、日本軍が占領していた国だ。敗戦後には、残留日本兵が独立戦争に参加したという歴史を持つ。「だから、現地の女性と日本人男性が結婚して、戦後間もなくいくつかのレストランを東京で開いているんです」と大平さんは教えてくれる。大平さんがかつて働いていた東京・六本木のインドネシア料理店「ブンガワンソロ」も、そんなカップルが1950年代に開いた店の一つだった。

大平さんのインドネシア料理との出合いは1990年代初め。バブル時代が終わりを告げようとしていた頃のことだ。「ホテルの宴会場とか喫茶店のウエイターとかのバイトをする中で、たまたま一番時給がよかったのがこの店の皿洗いだったんです」ときっかけを話す。「1日働くと2万円ぐらいになって。バイト代で車を買いました」

働いていた店のキッチンのスタッフはすべてインドネシア人。まかないもすべて同国の料理だった。ピーナツソースをかけた野菜料理の「ガドガド」や串焼き風の「サテ」をはじめ、見知らぬスパイスを使った数々の料理を食べた。

野菜料理、ガドガド 甘いピーナツソースをかけて食べる

「店ではピーナツバターを使ってソースを作っていて。ピーナツバターを料理に使うの? それを野菜にかけるの?って、すごくカルチャーショックを受けました。甘い料理もあれば、辛いものもある。ココナツを使った料理もそれまで食べたことがなくて、驚きました」と大平さん。目を白黒させていた当時の様子が思い浮かぶようだ。

当時旅行で訪れたバリ島も気に入り、商学部の学生だった大平さんは就職に有利になるのではと、語学習得のため大学3年次終了後、ジャワ島西部の学園都市バンドンの大学に留学する。「当時、インドネシアに留学するといったら、大学のインドネシア語学科の学生ばかり。僕は商学部でゼミも英語だったので、留学のために大使館にビザを取りに行ったら、『君みたいな人がなんで行くの?』と言われて……。親は泣いていました」と頭をかく。

バンドンでは最初、知り合いの家に1カ月ホームステイをしていたという。バイト先で馴染みはあったものの、現地は知らない料理、食習慣であふれていた。「朝は、平べったいお皿にインスタントラーメンが出てくるんですよ。ラーメンだけだったり目玉焼きがのっていたり」。当時はインターネットなどなく、渡航前に得られる情報はごく限られていたから、見ること聞くことすべてがとても新鮮だったという。

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