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立川談笑、らくご「虎の穴」

年男年女、年動物… 落語家は思い巡らす 立川吉笑

2018/1/7

浅草の観光客(東京都台東区)

明けましておめでとうございます。

これまで毎週日曜に更新してきた談笑一門でのまくら投げ企画ですが、師匠と私一番弟子の吉笑とが交互に隔週更新していくことになりました。今年もどうぞよろしくお願い致します!

待ち遠しい2年後

ようやく2018年になり7日がたったところではあるけど、相変わらず僕は20年が待ち遠しくて仕方がない。オリンピックが楽しみなこともさることながら、それよりも僕は年男になるのが楽しみすぎて仕方ないのだ。

20年、1984年生まれの僕は12年ぶり3回目の年男となる。

年男は良いものだ。

なぜなら年男は迷惑メールが送られてくることはないし、ゆで卵の殻がきれいにむける。味方からパスが良く回ってくるし、深爪にならない。汗をかかなくなるし、身長が2ミリ伸びる。猫がなつくし、土踏まずで土を踏めるようになる、と母親が言っていた。

立川談笑一門会の楽屋(東京都武蔵野市)

街で「俺は年男だぞ」「私は年女なのよ」と堂々と歩いている「年人間」の皆さんを見かけるたびに「いいなぁ。僕も年男になりたいなぁ」と羨み、また年男だった去りし日の己(おのれ)を思い出し、少しセンチメンタルになったりする。

そんな素晴らしい年男になれるのが12年に1回だけというのもグッとくる。「神様、わかってるなぁ!」と思う。なんとか2年連続で年男になれないものかと努力をしたこともあったけど、やはりダメだった。年男は12年に1回しかなれないからこそ尊いのだ。毎年、年男になった自分を想像したら、年男のありがたみを感じられなくなってしまうだろう。

かの松尾芭蕉は『おくのほそ道』の序文に『月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也』と記した。これは「月日というのは永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である」というような意味であるが、それならば、『年男は百代の過客にして、行かふ年男も又旅人也』ともいえるのではないか。

つまり年男というのは永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年男もまた同じように旅人なのだ。(松尾芭蕉は年男ではなかった1689年に江戸をたち、年男ではなかった1691年に江戸に戻ったそうだ。)

印象年齢に肌年齢

僕にとって年男年(としおとこイヤー)である20年を楽しみにしながら、昨年末、地元に帰省した。珍しく年末年始に休みが取れたのだ。

大みそかは兄が住んでいる家へ遊びに行った。3つ上の兄は1981年生まれ。つまり17年、兄は年男だった。

身内に年男がいる誇らしさと、なぜ自分でなく兄が年男なんだという悔しさとが入り交じった複雑な気持ちで兄の家へうかがうと、義理の姉である加奈子さんが出迎えてくれた。

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