寒くて「とほほ」な高座とは
立川吉笑
毎週日曜更新、談笑一門でのまくら投げ。師匠から頂いた今週のお題は「寒いったらありゃしない」ということで、今週も次の師匠まで無事にまくらを届けたい。
ありがたいことに日々色々な場所で落語をやらせて頂いている。
自分で企画する会だけでなく、呼んで頂いてうかがうケースも少なくない。
落語家は「アーティスト」と「サービス業」の中間だと思っている。
自分がやりたい落語を作り上げていく作業はアーティスト的だといえる。自分が伝えたいことを落語に込めて表現する。ミュージシャンにとっての曲、画家にとっての絵のように、落語家は己の落語で全てを表現する。
一方で、落語は演芸でもある。その場のお客様に「わはは!」と笑ってもらったり、うるっと感動してもらったりするために、我々は落語をやっている。そのためには毎回違うその場のお客様に合わせて落語を演じる必要がある。そういう意味では「サービス業」でもある。
そのどちらもが共存しているのが落語家なんだろうと思う。
己の落語を世界にぶつけたいと思っている自分と、その場にいるお客様にただただ喜んで頂きたいと思っている自分とが常に混在している。
その場にいるお客様が「僕が今考えていることを詰め込んだ落語をぶつけてもらいたい」と思ってくださっている場合はとても分かりやすいけど、そんな現場はわずかしかない。大抵の場合は、そのバランスについてうまく舵(かじ)をとる必要がある。
でも根底にあるのはお客様に楽しんでもらいたいということ。笑ってもらいたいということ。これに尽きる。
己の表現として満足いく落語ができなかった場合でも、お客様に楽しんで頂けたのなら、ひとまず自分の存在価値はあったのかなと思える。
そんな気持ちで落語をやっているから、もちろん常にお客様に楽しんで頂くつもりで高座に挑む。それでも、考えられないくらいツルーンとスベってしまうこともままある。
笑いを取りに行って失敗した様を「寒い」と表現することがあるけど、冷や汗をかくからなのか、血の気が引くからなのか、実際にやっている自分はスベった瞬間に寒く感じることがある。
今回は、一生懸命やったのに盛大にツルンとスベってしまい寒い思いをしたときの話。
僕に限って言えば、改めて考えてみると、持ち時間の20分なら20分を完全にほっかほかな状態で終えられたことなんて数えるほどしか無くて、毎高座、どこか思い通りにいかなかった箇所がある方が多い。
とはいえ、うまくいった部分ももちろんあるから、総じて「今日の高座はうまくいったなぁ」とホクホクした気持ちで帰ることもたくさんあるし、一方で「今日はちょっとダメだったなぁ」とヒンヤリした気持ちで帰ることもある。
ただ、ごくまれに、思い出すのも嫌なくらい完全にツルンとスベってしまうことがあって、その日の帰り道はただただ地獄だ。
用意したボケでお客様に笑ってもらえないことや、もっと言えば用意したボケ全てが1ミリもウケないことはたまにあって、それくらいでは帰り道が地獄になることはない。良いのか悪いのか前座修行の間に心が慣れてしまって、そんなことがあってもあまり驚かなくなった。
帰り道が地獄になるのはそれ以上の場合。
具体的には「そこにいる誰もが僕の落語を、さらには落語そのものを求めていない」場合だ。
こちらとしては先方から呼んで頂いたからうかがっているはずだけど、そんな状況になることがたまにある。ほんの少しでも僕や落語に興味を抱いて頂けているなら、なんとか楽しんで頂こうと手を変え品を変え一生懸命頑張るけど、全く求められていない現場だと、どうしようもない。
■ケース1 『とある宴会で一席』
運営委員に知り合いがいて、地域の寄り合いだったり企業の謝恩会だったりに呼んで頂くことはたまにある。宴会の途中にステージで一席落語をして、あとはビンゴ大会の司会などを務める仕事だ。
そもそも観客の想像力に全てを委ねる落語は、音楽や漫才に比べて表現としての圧力が弱いため、もろく繊細なものだ。だからこそ皆さんが食事をしたり歓談されたりしている宴会の場で落語をやることはなかなかにタフな作業になる。演っている最中に酔った方から絡まれることもある。
でも、こちらもそんな状況は慣れているから驚かないし、喋(しゃべ)っている人がいたとしても、しっかり落語を聴いてくださっている方も少なからずいるから何とか頑張れる。
ただ、先日呼んで頂いた宴会は、「生活が大変だろうから少しでも足しになれば……」と呼んでくださった知り合いの方以外、誰一人として僕にも落語にも興味がないという状況だった。
出囃子(でばやし)が鳴ろうが、高座に上がろうが、大きな声で喋ろうが、とにかくこちらに一切興味なし。ウエーターに追加のビールを注文したり、他テーブルの知り合いにお酌しに行ったり、主賓席にはずらっと名刺交換の列ができていたり。
最初の1分で、落語家というか、そもそも人じゃなくモノとして扱われていると悟った僕は、落語の中に仕込んであるボケを全部抜いて、ただただ喋った。笑って頂こうとボケると、ウケない度にスベった事実が積み重なり心がヒリヒリするので、ただただ「最初からこういうお話をするつもりだったんですよ」というフリをしながら、持ち時間をやり過ごす。
またそういう仕事に限って、いつもの寄席とかよりも少しギャラが良かったりするから、自分の尊厳を捨てて得たお金を握りしめて地獄道を吐く息白く帰ることになる。
■ケース2 『野外イベントで一席』
もう「野外」の時点で落語家なら警戒信号がビンビン出る。繰り返しになるが落語は脆く繊細な芸だから、声が拡散し、周りのノイズがたくさん届く野外にはそもそも向いていない。
それでも呼んで頂いたら、うかがいたくなるのが若手落語家の性(さが)だ。
野外イベントも何度か経験してきた。スピーカーの精度が高くて思いのほか気持ちよく高座を務められたこともあるし、隣のステージから音楽ライブの音が丸聞こえで難渋したこともある。それでも大抵の場合は、慣れているから驚かない。
ただこの時呼んで頂いた野外イベントは思っていた以上にタフな現場だった。
高座に上がると、200人くらいが入るスペースにお客様が7人ほどだった。でもこれだけだと、若手落語家は驚かない。
この現場が独特だったのは柵で囲われたその7人のお客様が座っている客席の外側に、500人くらいの人だかりができていたこと。
僕が出る演芸会の次が人気男性アイドルユニットの音楽ライブらしく、その入場待ちの方々が演芸会が終わってライブの入場時間になるのを今か今かと待っておられたのだ。
もうすぐ好きなアイドルに会えるとテンションが上がっている若い女の子たちの群れは、キャーキャーと高座の僕よりも高いデシベルを発する。また「早く終わってくれないかなぁ?」と冷たい目で僕を見る。ただ、これぐらいでも我々は驚かない。
そんな前座修業で鍛えた僕の心を打ち砕く決定打となったのは、雨だ。
その日、僕の出番中には雨が降っていた。
もちろんステージには屋根があったけど、それは背面にある大型ビジョンを守るためのもので、ひさしが短かった。座布団が置いてあるステージ中央には屋根がなく、しとしと雨に降られ続けながら落語をやった。
この時僕は、落語は雨の中でやったり、聴いたりするものじゃないんだと発見し、今でも心に刻み続けている。
全くウケなかった15分間の持ち時間を終え楽屋に戻る。精神的にも、そしてずぶぬれで物理的にも寒い思いをした僕は、少し目が潤んでいたけど、それが涙か雨かは分からなかった。
(次回11月26日は立川談笑さんの予定です)
本名、人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。180cm76kg。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年04月、二ツ目に昇進。出囃子(でばやし)は東京節(パイのパイのパイ)。立川談笑一門会やユーロライブ(東京・渋谷)での落語会のほか、『デザインあ』(NHKEテレ)のコーナー「たぬき師匠」でレギュラーを務めたり、水道橋博士のメルマ旬報で「立川吉笑の『現在落語論』」を連載したり、多彩な才能を発揮する。
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