もしも、合理性に負けない価値を帽子にみいだすならば、それは“帽子をぬぐ”行為そのものの有効性だろう。変な話、ぬぐために帽子をかぶるのである。トーマス・マンの「魔の山」でハンス・カストルプが、いとこのヨーハムヒ・チームセンに「帽子はかぶっているべきだよ……ぬぐべき時にちゃんとぬげるように」と諭すシーンがある。しかるべきタイミングで帽子をぬぐ。大切な出会いのシーンでゆっくり脱帽することは、ぺこぺこ頭を下げるよりも、よほど敬意を伝えることができる。言葉がおぼつかない海外においても有効だ。ぬいだ帽子を左手で胸にあてて握手をされて、嫌な気分になる人は少ないと思う。

■帽子は口ほどに物をいう

だから僕は、海外出張のときに必ず帽子を持参する。長旅の飛行機では洗髪できないし、気候が違えば思うようにヘアスタイルなんて決まらない。帽子は、何かをとっさに隠すのに便利だし、ホテルについたら逆さまにしてモノ入れにもできる。幸運なことに経験はないが、イザとなったら緊急時のバケツにもなるだろうし、カンパの集金箱にも使えるかもしれない。そんな想像力までも込めて帽子をかぶってみるのもまた、楽しいのである。

ちなみに僕が愛用しているのは、ボルサリーノのフェルト帽だ。創業150年を超えるイタリアの老舗ブランドであるが、日本では1970年に公開された同名の人気映画「ボルサリーノ」のおかげで、ソフト帽の代名詞となっている。4種類のウサギの毛を独自のブレンドで仕上げるソフトなつばは、眉毛よろしく豊かな表情をつくれるのが面白い。帽子は口ほどに物をいうのである。

なかむら・たかのり
コラムニスト。ファッションからカルチャー、旅や食をテーマに、雑誌やテレビで活躍中。著書に「名店レシピの巡礼修業」(世界文化社)など。

[日経回廊 4 2015年10月発行号の記事を再構成]

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