茶わん蒸しがないすし屋なんて! だし効かせる名脇役

「おいおい、ダメだよ。茶わん蒸し置かないと」
それは友人が独立して店を構えることになり、プレオープンに出かけたときのことだった。大声の主は友人の師匠にあたる人。内外装から食器、ユニホームなどをニコニコとチェックしていた師匠が、メニューを見て慌てて声をあげた。それが「茶わん蒸し置かないと」というセリフだった。
「すし店で茶わん蒸しがないのはダメだ。いい魚、いいすしだけじゃお客は本当には満足できないんだ。茶わん蒸しで胃を温めて帰さないと。汁物もいいけど、茶わん蒸しがあると満足度が本当に違うから。なに? 蒸し器がない? すぐ買ってきなさい」
確かにすし屋など海鮮を売りにするお店には、茶わん蒸しがつきものだ。高級店にも街のすし屋にも、チェーンの回転ずしにも茶わん蒸しは大抵あり、頼む人も多い。うちの郵便受けによく入ってる宅配ずしのチラシには、なんと3種類もの茶わん蒸しが掲載されている。

おいしいとはいえすしばかり食べているとお腹が冷える。そこへ熱々の茶わん蒸しが入るとお腹が落ち着くのだろう。コメ料理であるすしはそもそも締めであるはずなのに「すしの締めが茶わん蒸し」というような不思議な現象が起きてしまう。
思えば茶わん蒸しとは不思議な食べ物である。卵料理でありながら、本当に食べさせたいのは、だしの方だったりする。いや、むしろだしのうまさを味わうために卵の力を借りている料理、といった方がいいだろうか。和食の世界ではだしの量の違いでだし巻き、卵豆腐、茶わん蒸しと3つの料理に作り分けるが、茶わん蒸しともなると、なんと卵の4倍以上のだしを含ませることができる。

熱々をふうふう食べるところに醍醐味があるが、暑い時期の冷たい茶わん蒸しもつるりと最高だ。ウニやイクラ、フカヒレなど、具を豪華にしようと思えばきりがないが、具なしのそっけなさもじわじわくる魅力がある。
献立の中心に据えられることはあまりないが、脇役に甘んじるには存在感がありすぎる。和定食に茶わん蒸しがつくとつかないとでは、お店を見る目がまるで違ってくるではないか。焼き魚に味噌汁、ご飯に漬物だけでは「良くも悪くも普通の定食」だが、そこに茶わん蒸しがつくと、どうだ。「だしもちゃんと取ってるし、ちょっと手の込んだ料理も作っちゃうよ」と店主にささやかれている気がしないか。つい「夜に宴会でもしてみようかな」と夢想してしまわないか。

私のお気に入りの店がまさにそれだ。おじさまの聖地にある、夜はちょっとお高い和食屋が手がけるランチは、魚がメイン。行くと決めたらもう頭の中は「銀ダラにしようかな、サバもいいな、いやいやブリ大根も捨てがたいし……」と仕事が手につかなくなるような、いい店だ。そこで魚が焼けるまでの間に出されるのが、茶わん蒸しなのだ。
空腹で待っている間の手持ち無沙汰や荒ぶる気持ちを、ぷるぷると鎮めてくれる茶わん蒸し。どちらかというと女性が好むものと思われがちだが、この店ではそんなことはない。どのおじさまも皆ウキウキと小さなスプーンを動かし、茶わん蒸しに舌鼓を打っている。だしがおいしいから茶わん蒸しだけでなく、煮物も味噌汁も大満足。初回からつい「夜のメニューを見せてもらえますか」と言ってしまうのもわかるだろう。

そういえば名古屋を中心とするモーニング戦争が激しい地域でも、コーヒーに茶わん蒸しが付いてくる店はちらほらある。意外性を狙ったということもあろうが、実際に食べてもらえれば満足度が高いため、リピート率が上がるからであろう。同じ卵料理でも、ゆで卵がポンと出てくるよりずっと印象に残るはずだ。
ところで茶わん蒸しというと、どのような姿を想像するだろうか。
一般的なのは、ちんまりとしたフタ付きの専用食器で作られ、鶏肉やエビ、カマボコにシイタケなどが入っているものだろう。ミツバやユズの香りがこの上なく「上品な和食」の趣で、万人向けであるが、量は少なめ。

しかし茶わん蒸しにはさまざまなバリエーションが存在する。例えば大阪発祥と言われる、うどん入りの「小田巻蒸し」もそのひとつ。まだ卵が一般人の口にはなかなか入らなかった時代に、大阪は船場の商家でハレの日に作られたという。貴重な卵をたっぷり使い、うどんのおかげでボリューム満点。ぜいたくで、それでいて実も取る、そつのないごちそうといえよう。
他にも「空也蒸し」と呼ばれる、豆腐を入れた茶わん蒸しもある。また鳥取県には、春雨入りの茶わん蒸しもあるという。
長崎には大きな大きな茶わん蒸しを名物にしている店もある。長崎の本店も、銀座の店も、家族でよく出かけたものだ。「茶わんで蒸すから茶わん蒸しなのに、これではどんぶり蒸しだ」と文句を言いつつも、ペロリと平らげるところまでがお約束。中年になり食が細くなった今でも、ここの茶わん蒸しはペロリと平らげないと、どうにも気が済まない。

ザ・和食といった顔の茶わん蒸しだが、実はこのように「おいしい水分と卵を合わせ、蒸して固める」という調理法は、世界中に存在する。タイの茶わん蒸しは「カトゥン」。韓国には「ケランチム」がある。フレンチやイタリアンでもカニやカキなどを具にした茶わん蒸しのような料理がある。
以前友達に教えてもらった、中国の家庭料理だという茶わん蒸しも面白い。だしではなく水。具もエビやギンナンではなく、豚のひき肉を使う。大きな丼にひき肉としょうゆを入れ、手でこねる。ひき肉がまとまったらそのまま丼のカーブに沿って薄く伸ばして貼り付ける。卵と水を「1:3」の割合で混ぜたものをそそぎいれ、蒸す。固まったら取り出してしょうゆをたらっとかけ回す。そのしょうゆをめがけ、煙が出るまで熱した油をじゃっとかけるのだ。当然キッチンは油だらけで大変なことになるが、茶わん蒸しが見事に中華料理になるから面白い。

外で食べるのもいいが、茶わん蒸しこそぜひ家で作って欲しいと思う。「もっと食べたいのにこれっぽっちか」とか「せっかく上等なお店で食べてるんだから、ギンナンやユリ根くらい入れて欲しいな」などの不満が、自作なら簡単に解決するからだ。ギンナンだらけ、ユリ根だらけの茶わん蒸しを作るもよし。ラーメンどんぶりで作るもよし。誰にも叱られることはない。
だしを取るのが面倒なら、缶詰を使うという手もある。ホタテやカニの缶詰があれば、とても上等。アワビとウニを煮た「いちご煮」の缶詰があれば、極上のものができる。卵と水分の割合(1:3~4)だけ守っていれば、失敗することはない。蒸し器がなくたって、レンチンでいいのだ。

「す」が入ってしまっても大丈夫。残っただしを片栗粉でとじて、あんかけにしてしまえばいい。最初から狙ったかのような、高級感が出る。あんにも具を入れれば「す」などまったくわからないだろう。
実は茶わん蒸しはだし巻きよりもずっと気軽に、簡単に作ることができる料理だ。ネットで検索すると、昨日の味噌汁や、カップ麺の残り汁などで気ままに茶わん蒸しを作っている人が簡単に見つかる。ぜひ心のハードルをぐっと下げてチャレンジしてみてほしい。
冒頭の友人はすぐ蒸し器を買いに走り、無事「茶わん蒸しもある店」としてオープンした。すし屋が目利きした上等な魚が具材として入る茶わん蒸しは異例のヒット商品となり、もっと食べたいというお客の要望に応えるうちに、ジャンボ茶わん蒸しまで開発したとのこと。寒さの厳しくなるこれからの季節、あつあつの茶わん蒸しはさらに人を呼んでくれるに違いない。私もそろそろ顔を出さなくてはな。
(食ライター じろまるいずみ)
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