アップル新本社に日本の椅子 デザインが救った苦境
デザイン思考で探る顧客ニーズ(下)
2017年9月に行われたアップルの新iPhone発表会のときに、ある椅子が話題になった。アップルの新社屋「アップル・パーク」での初めての発表会。そのビジター・センターに大量に置かれていたのが「HIROSHIMAアームチェア」と呼ばれる日本製の椅子だったのだ。デザイン好きのジャーナリストは、その様子をこぞってSNSに投稿した。
その名の通り、この椅子は広島にある家具メーカー「マルニ木工」が製造・販売しているもの。デザインしたのは深澤直人氏。auの携帯電話機「INFOBAR」シリーズや、無印良品の商品デザインを多数手がけてきた。「シンプルでどこにもありそうだが、これまでになかった」と形容されるデザインで、国内外問わず高い評価を得ているデザイナーだ。
HIROSHIMAアームチェアをはじめとする「マルニコレクション」というシリーズをマルニ木工が世に送り出したのが、2008年のことだ。1928年に創業した同社はこれまで、百貨店や家具専門店を通じての販売が主な販路だった。ピーク時の売り上げは300億円ほどにまで成長したが、バブル崩壊後、婚礼時に家具を買い揃えたり、郊外の家具専門店で家具を買ったりという従来の家具販売のビジネスモデルが崩壊。ニトリや無印良品、イケアと言った製造小売りが台頭する中で、同社の売り上げは何10分の1以下にまで落ち込んだ。
崖っぷちからデザインで業態改革
「ボーナスも払えず、リストラも何度も経験した。とにかくシンドイ思いの連続だった」。創業家の危機に、銀行から同社の社長へと転身した山中武社長。その山中社長が選んだ選択肢が、デザインの力で業態を大きく変えるということ。具体的には世界と戦えるデザインと高品質な家具を武器に、販路開拓のための革新を起こすと言うことだった。
この考えに至ったのが、デザイナーの深澤直人氏が山中社長に掛けた「世界の定番を目指そう」という言葉。実は、日本製家具の海外への輸出割合は全体の5%もないと言われており、極めて内向きな業界だった。しかし日本には、木と親しむ文化があり、同時に高い職人技術がある。これをうまく生かして素晴らしいデザインの椅子を作れば、世界に誇れる日本の家具が生み出せるはず。世界中のメーカーと仕事をしてきた深澤氏にはそんな確信があった。そして狙うのはコントラクトと呼ばれる市場。ホテルや空港、オフィスなど、ステータスの高い場所にまとめて椅子が導入される可能性が高い分野だ。
マルニ木工が得意としていたのは、いわゆる「猫足」と呼ばれる曲面を多用した、装飾性の高いクラシック家具の制作。その技術を見越して深澤氏が提案したのが、一見シンプルに見えるが実は複雑な曲面で構成されている難易度の高いデザインだった。この提案が同社の技術にぴたりとはまった。そしてそれが結果的に同社の職人の技術をもう1段引き上げる結果になった。
当初HIROSHIMAチェアはほぼ手作りで作られていた。しかし、「3次元加工機」と呼ばれる、木の固まりをドリルで削って作る機械のプログラミングを行う技術者がこのデザインを見て奮闘。HIROSHIMAの製造の大半を自動化することに成功した。このノウハウがほかの商品にも生き、製造の自由度や効率が大きく引き上げられたのだ。
売り方も変わった。これまでは代理店に頼っていた販売だったが、海外の販売パートナーを探すために自社の売り込みを行うなかで、自分たちの商品や企業の見せ方を学び、市場の声を直接聞き、そこからさまざまな販売の企画を行えるようになった。国内ではこの経験を生かして小売りも展開、今までは不良在庫になりかねなかった「節あり」の椅子を魅力的に売る方法や、クラウドファンディングを活用したファンづくり、工場見学を通じたブランディングを展開。特に工場見学を行うことで、社員に「人に見られる」という意識が芽生え、自身の仕事にプライドが持てるようになったという。
現在マルニコレクションシリーズは年率二けたの割合で成長し、同社の売り上げの35%にまで育っている。海外輸出比率は10%を超え、業界の水準を大きく超えた。全盛期には及ばないが、現在売り上げは30億円。2012年以降黒字を続け、冒頭のように今やアップルにまで認められる存在になった。
デザイナーの気付きを利用して革新を生む
世界の市場を知るデザイナーが、新しい売り方に対する気付きを企業に与え、そのデザインが技術者や社員の意識を大きく変える。デザイナーは色や形を提案する役割だけではなく、企業に新たな「気付き」を与え、そのデザイン提案を持って自然に社員の意識改革を起こし、イノベーションを起こすという役割も持っているのだ。
こうしてデザインをきっかけに企業の姿が大きく変わる例は、近年特に増えている。20年にわたって車両デザインを水戸岡鋭治氏に依頼し続け、それが駅舎やホテルにまで拡大。その結果今や観光業としての側面も持つようになったJR九州などもその好例だ。
また、今日本の素材メーカーや部品メーカーもデザイナーと積極的な協業を展開し始めている。自分たちの商材の新たな可能性を探るための実験的なプロトタイプを共同で開発し、新たな気付きや革新の種を生み出そうとしているのだ。
デザイナーを活用し、社内に刺激をもたらす。これもまた、1つのデザイン思考の形である。
日経BP総研マーケティング戦略研究所上席研究員。1998年国際基督教大学卒業。『日経デザイン』編集長を経て現職。日本パッケージデザイン大賞、日本サインデザイン賞審査員、特許庁各委員などを歴任。また、2016年にデザインオフィスnendoと共同でデザインコンサルティング事業「bondo」を立ち上げた。
日経BP総研マーケティング戦略研究所(http://bpmsi.nikkeibp.co.jp)では、雑誌『日経トレンディ』『日経ウーマン』『日経ヘルス』、オンラインメディア『日経トレンディネット』『日経ウーマンオンライン』を持つ日経BP社が、生活情報関連分野の取材執筆活動から得た知見を基に、企業や自治体の事業活動をサポート。コンサルティングや受託調査、セミナーの開催、ウェブや紙媒体の発行などを手掛けている。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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