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それでも親子

精神科医・香山リカさん 「50代の子ども」見守る母

2017/10/13

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。NHKラジオ第1「香山リカのココロの美容液」でパーソナリティーを務める。「さよなら、母娘ストレス」(新潮文庫)など、著書多数。

 著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は精神科医の香山リカさんだ。

――6年前に父親が亡くなり、今は母親が北海道小樽市で独り暮らしだとか。

 「父が亡くなってすぐ、東京で一緒に暮らそうかという話になって、母は何回か東京に来たのですが、結局、帰ってしまいました。85歳になったので心配なのですが、『子どもに迷惑をかけたくない』と、この年代の人に多い考え方を母も持っています」

 「母は専業主婦で、良妻賢母になる教育を受けたようですが、私には、女性らしくしなさいとか一切言いませんでした。大学に行って、いい仕事に就いてほしいと思っていたようで、しっかり勉強するように言われました」

 「父は産婦人科医で、私が小学校1年生くらいのときに開業医になりました。でも、私が医師になることはまったく望んでいませんでした。自分ができなかった海外で活躍するような職業に就いてほしいとよく言っていました。私がピアノを習っていた小学生のころは、『音楽大学に行ってもいいんだぞ』と言っていました。東京医科大学に合格したときは、むしろ、がっかりしていました」

 ――大学時代、松岡正剛さんの編集プロダクション「工作舎」でアルバイトをしていたそうですね。

 「父も母も、私が大学に入ると、好きな道を進むのを黙って見守ってくれました。編集のお手伝いの影響もあり、フーコー、ラカン、ドゥルーズといった現代思想家の書を読み、精神科医を目指すことになりました」

 「精神科医をしていると、家族関係で苦労したり,家族関係が引き金になって人生が変わったりする人をたくさん見ました。私の家庭はごく平凡な家庭で、患者さんの話に引きずられずに診察できたのかもしれません」

 ――社会人になってからの両親との交流は。

 「父は60代後半になって病気をして、産婦人科医の仕事の量を減らしました。そのころから米国や英国、国内各地を一緒に旅行しました。料理や土産の話をするばかりで、戦争中の話とか難しい話はあまりしませんでした」

 「でも、京都の永観堂のみかえり阿弥陀像を見たときに『これって、あなたみたいだ』とひと言、言いました。私が世の弱者のことを考えた著作活動をしていることを、振り向いて後ろを気にする阿弥陀如来にたとえてくれたことはうれしかった」

 「両親は犬を飼っていて留守番役が必要なので、母とも2人で旅行しました。母は私を、そこつな子どもとして接します。私が“50代の子ども”でいられるのは母のおかげかもしれません。これからはAKBが好きなおじいさんとか、型にはまらない高齢者が増えてくると思います。年相応の生き方を強制しない母は、私の自由な高齢期の生き方も応援してくれそうです」

[日本経済新聞夕刊2017年10月10日付]

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