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八ッ橋の300年企業 長寿の秘訣は「ちょうちん経営」 聖護院八ッ橋総本店(下)

2017/9/14

聖護院八ッ橋総本店の鈴鹿且久社長

 伝統のある企業が、攻めと守りのバランスをとるのは難しい。創業から320年以上続く聖護院八ッ橋総本店(京都市)の場合、社長の鈴鹿且久氏と、一人娘で専務の可奈子氏によるコンビネーションの良さが、そのバランスをとることに貢献しているようにも見える。先代から受け継いだもの、可奈子氏に引き継ぎたい伝統について且久氏に聞いた。(前回「「八ッ橋」に新風吹き込む 京大卒後継ぎ娘の挑戦」参照)。

――八ッ橋の起こりには、諸説あるようですが。

 「いくつか説はありますが、うちは土産物店から出発していますから、土産物としての起こりは何だろうかと考えます。それによると始まりは江戸時代、箏曲の祖といわれる八橋検校さんが亡くなり、黒谷(京都市左京区)にある金戒光明寺(常光院)に葬られました。生前のご偉業をしのんで墓参りに訪れるお弟子さんたちが絶えなかったので、ご遺徳をしのんで琴の形に似せて作ったお菓子が八ッ橋だと伝わっています。米粉とニッキ、砂糖を合わせて焼き上げた菓子は当時、大変珍しいものでした。私どもはそれ以前から、金戒光明寺の参道で商売をさせていただいております」

――餡(あん)入りの生八ッ橋を作り始めたきっかけは?

 「1960年の祇園祭宵山、一力茶屋における表千家のお茶席で、私どもの菓子をお使いいただいたのがきっかけです。先代の家元と父とは京都一中で同級生でしたので、大変仲良くおつきあいをさせていただいておりました。そのような関係で、家元(当時)から『こし餡を生八ッ橋で包んで出したらどうか』と提案があり、それを受け、短冊状の生八ッ橋で餡を巻いた『神酒餅』をお出しした。その後、形をかえ、つぶ餡入り生八ッ橋『聖』として販売したのが1967年のこと。ちょうど大阪万博の準備が佳境を迎える頃で、土産物の需要も高まってきていました。商品化した当初はまだ焼いた八ッ橋のほうがよく売れていて、生八ッ橋の認知度はそれほどでもありませんでしたが、昨今はそれが逆転し、売上数量の7割程度が生八ッ橋です」

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