ライフコラム

旭山動物園、坂東元の伝える命

獣医学部新設問題に思う 獣医師は足りているのか?

2017/8/13

旭山動物園には坂東園長ほか3人の獣医師が勤務する(桜井省司撮影、提供:株式会社LEGION)

 7月1日が旭山動物園50回目の開園記念日でした。忙しさにかまけて原稿を書くのが延び延びとなり、気づけば8月になっていました。申し訳ありません……。

 さて近年、多くの学校が「命の大切さ」を伝えたいと動物園を訪れます。「ペットの殺処分ゼロを目指して」との活動やポスターを目にすることも増えました。「また尊い命が」といった切り口で、ペットの過密飼育や虐待を扱ったニュースも目にします。とにかく殺さないことが基本で、死を否定的にとらえることになります。

 一方、野生動物の問題ではイノシシやシカなどをいかにして効率よく駆除、つまり殺処分するかについての特集番組やニュースを目にします。子どもを産むメスをいかにして効率的に駆除するか……。

 このようなニュースを子どもが見てどのように感じ育つのだろう? ふと心配になります。人にとって大切な生きものの命は徹底的に大切にする。人にとって問題となる野生動物(外来種も含む)は効率よく処分する。大切なものは守り、不都合なものはいなくなってもいい。そんなメッセージになりかねません。人同士の戦争のニュースや、身近で起きている殺人や自殺の問題など、様々な情報に無垢(むく)なままさらされて育つこと、教育の中で学ぶ命の大切さと現実の中での命の扱われ方、報道のされ方の違い……。

 あるいはペット(一般的な言い方を使います)の飼い方。動物愛護センターなどでは盛んに不幸な命を生まないため、幸せな一生を送らせるためにと避妊、去勢を推奨しています。命とは生まれ、死ぬものです。だから命をつなぎます。今この瞬間に生きている命は、何千万年も1度も途切れなかったから今、生きているのです。

 飼い主(消費者)に渡ったイヌ、ネコは避妊去勢され、伴侶とはいいますが、極端な言い方をすれば「利用して使い捨て」との見方もできます。なぜこんな言い方をするかというと、飼育動物を繁殖もさせずに展示し、死んだら購入し続けてきた動物園の歴史への反省があります。

 誰かが繁殖をさせ(生産者)、消費者に買ってもらえるよう一定の品質(性格や見た目など)を維持した個体を流通させないといけないため、淘汰は必ず必要になります。ペット産業は経済です。もっとも、ペットブームの中でとにかく大量生産をしようと極端な近親交配が進んでしまい、その命にとっても購入した飼い主さんにとっても、大きな苦しみや負担を背負う問題も生じていますが。いずれにせよペットも、人の都合でつくり出した生きものです。ウシやブタ、ウマなどの家畜と、イヌやイエネコなど現代では愛玩動物となった種の間に線を引き、命の扱い方を都合よく解釈しているのは人です。

北海道ではエゾシカが増え過ぎ毎年10万頭以上駆除されている(桜井省司撮影、提供:株式会社LEGION)

 「命は大切」は当たり前ですが、その死を大切にすることはもっと大切だと思います。なぜなら、命は必ず死ぬからです。死に蓋をして、生きていることだけ見続けても、大切さは見えてきません。ところが近年、獣医大学でも解剖実習などの際、学生に生物の安楽死をさせず、安楽死したものを教員が学生に提供するようになりました。「治すために学んでいるのだから、殺すことはしたくない」。医学を学ぶ者は、死を客観的にとらえられなければいけません。獣医師が強制的に命を奪わなければいけない実験動物や畜産動物はもとより、街中の動物病院が扱うペットでさえ、安楽死を選択せざるを得ない場合があります。自らが動物の命を絶つことから受ける感覚や、奪った命に対する責任を考えることは、獣医学を学ぶ上で根底になければいけない、とても大切な過程だと思うのです。

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