近藤良平さん 博識で頑固おやじ 今だに蘊蓄の人
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はダンサーの近藤良平さんだ。
――商社マンのお父さんの転勤で、子供のころは南米で暮らしたそうですね。
「生まれは東京ですが、すぐに母に連れられてチリのサンティアゴに渡りました。政情不安で3年後には、家族4人でペルーのリマに移り2年ほどいました。小学校に上がるころ一旦帰国したのですが、小4が終わって今度はアルゼンチンに家族で引っ越し。ほとんど南米にいたから、小学生になったころにはもう『発展途上国』という言葉を覚えていましたね」
「おやじはプラント輸出やダム建設の仕事をしていたみたいです。でも、家にいないから何をやっているかよく分からない。たまに会うと腕には高級腕時計、腰には高そうなベルトを締めている。えたいの知れない存在でしたね」
――中学生でまた日本に。
「家族でドライブしていると突然、『帰るぞ』。その一言で帰国しました。おやじは威圧感の塊みたいな人です。声がでかくて怖い。その上、東大卒だから博識で、蘊蓄(うんちく)をたれる。芸能やクラシック音楽が好きで、蔵書がびっしり並ぶ書斎からはオペラや落語が流れてくる。酒を飲むと、また蘊蓄。教養のある頑固おやじといった風情です」
「帰国後、単身赴任でまた海外に出たのですが、赴任先から時々封筒が届きました。開けると、手紙ではなく算数のクイズが入っている。それに私が答えを書いて送り返す。そんな親子の交流でした。日本に帰ってきて初めて、おやじがかなり変わったヒトだと気づきました」
――それでも家族の仲はよかった。
「海外にいたころはよく、家族4人で民俗音楽を合奏していたから息は合っています。母は家族の中で一番はしゃぐタイプ、姉はおやじに似て頭が切れる。おやじは怖い。自分は3人を取り持ち、調子よく騒ぐタイプ。全員で盛り上がるわいわい加減が好きなのはこのころからですね」
――そこからどうしてダンスの道へいったのですか。
「大学を1年間休んでヨーロッパを放浪しました。パンの耳を食ってでも生きていく自信ができたし、レールに乗る就職に興味が持てなくなっていました。一応、内定はもらってたんですが、サラリーマンにはなりませんでした。カバン一つ持ち、実家には何も言わずに飛び出した。ずいぶんと年を食った家出です。ダンスをやりたかったのではなく、何がやりたいのかを探すために家を出た。転がり込んだ先がたまたまダンス仲間だったという訳です」
「おやじはもちろん激怒です。半ば勘当状態だったんですが、そのうち舞台を見に来てくれるようになりました。最近は海外の映像をみつけては『こんなのあるぞ』って教えてくれるんです。相変わらず蘊蓄を垂れたいんですね」
[日本経済新聞夕刊2017年8月8日付]
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