ただし宇宙人の姿形は人間となんら違わない。現実の人間の体を借りているので、身内や友人も気づかない。ただ、記憶を失って、人格がすっかり変わってしまったとしか思わない。数日間、行方不明だった夫(松田龍平)を迎えた妻(長沢まさみ)もそう思った。
3人の宇宙人が侵略のために、ある日本の地方都市に先乗りし、人間について調査している。出会った人間の額に触れて、様々な「概念」を奪い取り、学習する。家族、自由、所有、仕事……。そんな概念を。
こうして侵略の準備は着々と進んでいるのだが、街は日常の光景のままだ。でも、どこかおかしい。国家は何かに気づいている。不穏な空気を感じてこの街を取材していたジャーナリスト(長谷川博己)は、奇妙な少年と知りあう……。
原作の劇作家・前川知大の舞台の初演は2005年だが、現在の日本の空気にあまりによく通じていることに驚く。
一見平穏に見える日常の裂け目を描くのは1990年代以来の黒沢映画の特徴でもある。ただ社会の変容と共に、その意味あいも変わってくる。黒沢はこう語った。
「世紀末のころはフィクションとしての不安を楽しむ余裕があった。21世紀に入って、フィクションとして描いたものが、現実になるかもしれないという感じになってきた。でもそれは実は前からあった危機が見えてきたにすぎないのではないか。もともと危機はあったのだけど、我々は見ないふりをしていた」
「核ミサイルが飛んできたら、どこに隠れなさいというような報道が、数週間前からなされている。かつて近未来フィクションで描いていたようなことが、まことしやかに報道されている」と黒沢。黒沢映画の世界に現実が追いついたとしたら、それは世界の不安が顕在化してきたということだろうか。
もちろん、それでもフィクションはフィクションである。黒沢は今回も過去のジャンル映画を参照しながら、虚構と戯れている。長谷川に対しては「ここはカート・ラッセル風に」「ここはトム・クルーズで」という指示も出したという。ジョン・カーペンター監督『遊星からの物体X』やスティーブン・スピルバーグ監督『宇宙戦争』の影を探してみるのも面白そうだ。
(編集委員 古賀重樹)