足元深く掘る是枝裕和 「海よりもまだ深く」の到達点
カンヌ映画祭リポート2016(8)
是枝裕和監督を迎えるカンヌの観客の拍手は一段と熱くなった。18日夜、ある視点部門の「海よりもまだ深く」が上映されたドビュッシー劇場。上映前の舞台挨拶のために是枝の名前が呼ばれたときも、本編冒頭で「KOREEDA」の文字が現れたときも、大きな拍手がわき起こった。
3年前の「そして父になる」、昨年の「海街diary」に続く3作連続のカンヌ出品で、すっかり顔なじみとなったからだろう。映画祭は人と人を結びつける親密な空間だけに、続けて来ることが大事なのだ。是枝は河瀬直美と共にカンヌで「おかえりなさい」と呼ばれる日本人監督になった。
「海よりもまだ深く」は是枝が9歳から28歳まで実際に住んだ東京・清瀬の旭が丘団地で撮影された。是枝自身が「僕の原風景だ」と語る場所である。
良多(阿部寛)は若い頃に文学賞を受けたものの、鳴かず飛ばずで、今は探偵をして暮らしているしがない中年男。子供時代を過ごした東京・清瀬の団地には今も老母(樹木希林)が一人で住んでいる。父親が死んで半年。ギャンブル好きでいつも金欠の良多は、金目の遺品はないかと団地の部屋をあさるが見つからない。別れた妻(真木よう子)に渡す小学生の息子の月々の養育費も滞っている。
良多は元妻への思いを断ち切れないが、彼女には新しい恋人ができたらしい。月に一度の面会日に養育費を用立てられなかった良多は、老母のへそくりを探しに、息子と共に団地へ。夕方、元妻は息子を迎えに来るが、台風が接近し、団地から動けなくなる。良多、元妻、息子、老母は図らずも団地で一夜を過ごす……。
それだけの話である。事件らしい事件は何も起きない。確かに映っているものといえば、それは団地である。
鉄筋コンクリート5階建ての団地が盛んに建設された1960~70年代、団地は高度経済成長の象徴であり、多くの日本人が中流に移行する希望と夢に満ちた場所だった。それが今、人口減少と超高齢化という日本社会の厳しい現実を端的に示す場所となっている。
団地と同じように、この映画の登場人物も、夢をかなえられなかった人々である。良多はもちろん。愛想を尽かした元妻も。ほんの仮住まいのつもりだったのに、死ぬまで団地に住み続けることになる老母も。みな「こんなはずじゃなかった」と思っている。
阿部と樹木は「歩いても歩いても」(2008年)でもダメ息子と老母を演じた。良多、淑子(とし子)という役名も同じ。失業中の息子が妻子を連れて帰省するが、母との関係は微妙。それだけで、特段なことは何も起きない。一人ひとりのピリピリとした感情だけを繊細にとらえていた。
あれから8年、今回は何が変わったのか? 樹木は「是枝さんの気持ちにずーっと近寄った」と語る。阿部も「日常の深くに入っていき、監督の深いところにある人間性がいろいろ出てきた」と言う。
是枝が「足元を深く掘る」ことを徹底しはじめたのは「そして父になる」(13年)からだろう。実生活でも父となった是枝にとって、子育てが容易でないこの国の現実は切実なものであり、それが人間や世界に注ぐまなざしを辛辣なものにした。「父になるとはどういうことか」という問いを普遍的なものにした。繊細なまなざしが世界に突き刺さった。
「海よりもまだ深く」で良多と元妻と老母が共に過ごす台風の一夜には、人間の冷たさと優しさ、だらしなさと潔癖さ、そのすべてが詰まっている。世界に対する執着と諦念も。断念に伴う明るい憂愁を象徴するように、雨上がりの芝生が朝日にキラキラと輝いている。
それは是枝が子供のころからよく見た光景であったに違いない。「こんなはずじゃなかった」この国で、「こんなはずじゃなかった」人々が、それでも生きていく。その決意を曇りのないレンズでとらえた瞬間だ。
上映終了後、満場の拍手を受けて日付が変わった19日未明、是枝はホテルのロビーでこう語った。「こうしたら外国で通じないんじゃないかといったことは一切考えず、狭く狭く、深く深く、描いていった。深く描けばそれは届くと考えた。きょう、ここカンヌでそれを確信した」
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19日のコンペではルーマニアのクリスティアン・ムンジウ監督「バカロレア」が上映された。これも家族の話である。
内科医ロメオの娘は留学を目指している。資格試験が迫ったある日、ロメオが学校の前まで送ったあと、娘は何者かに襲われる。命に別条はなかったが、娘の心は揺れる。娘の留学を切望するロメオだが、実は愛人がいて、妻との関係は冷え切っている。そのことを知った娘からも、妻からも、愛人からも、ロメオは疑念の目で見られる……。
チャウシェスク政権下で違法とされた妊娠中絶に臨む女子学生たちを描いた「4ケ月、3週と2日」(07年)や、修道院で悪魔払いの儀式にかけられる女性を描いた「汚れなき祈り」(12年)で極限状況に追い込まれた人々を描いたムンジウ。今回の舞台は独裁政権や修道院ではなく、どこにでもあるような普通の家庭だが、やはり追い詰められた人々を描いている。
ごく平穏に見える日常が、一皮むけば不穏な空気に満ちている。家庭も人間も簡単に壊れてしまう。ムンジウがより普遍的な題材に挑んだ野心作だった。
「チェイサー」(08年)、「悲しき獣」(10年)のナ・ホンジン監督の新作「ゴクソン」も18日、コンペ外の公式作品として上映された。次々と起こる一家惨殺事件におびえる韓国の田舎町の物語。疑惑をかけられる異邦人を日本の國村隼が演じた。日本での公開は決まっていないが、國村はカンヌにやってきた。
凄惨なバイオレンスを伴うが、息つく間もなく予想外な展開が続く。そのスピード感は「チェイサー」と同じだ。異邦人は時に悪魔のような姿を見せるが、正体は最後までわからない。「理詰めで理解できないところが面白い。ナ・ホンジンはストーリーテリングじゃなくて、どうやって楽しませるか、どうやって怖がらせるか、で作っている」と國村。
韓国の撮影現場は「タフだと聞いていたが、本当に過酷だった」。ガレキがゴロゴロした山の上に毎日通う。監督は納得がいくまでテイクを重ねる。あらかじめビジョンはあるが、現場で粗編集をして、そこで新しいイメージがわけば、変えていく。國村がこもる洞窟のセットを6時間かけて作り直し、悪魔のメークには8時間かけた。「与えられた時間で収めようという発想はなく、納得がいくまでやる」という。
ナ・ホンジンは「体力の限界まで追い込む」と國村。「もう無理」と言うと「あと2回だけ」と粘る。韓国の俳優は質が高く、モチベーションも高いと感じた。「映画の地位が高く、プライドをもっている。刺激になった」
外国でどんどん仕事をしたいという。「どこで誰と作っても映画になる。違う言葉や違う歴史を共有していくのが面白い。ナショナリティーは関係なく、映画人という人種がいると感じる」。次も外国での仕事が控えているという。
(編集委員 古賀重樹)
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