May J. サフラン用すり鉢、3代受け継ぐイランの味
社会現象化した映画「アナと雪の女王」日本版主題歌「Let It Go~ありのままで~」の圧倒的な歌唱力が印象的だったMay J.さん。英語やペルシャ語などの多言語を話すマルチリンガルだが、それはロシアやトルコ、イランなど、様々なバックグラウンドを持つことと無縁ではない。今回彼女が持ってきてくれた小さなすり鉢は、"世界一高価"とも称されるスパイス、サフラン専用で、祖母から母へ、母からMay J.さんへと譲られたものだという。3世代に渡って受け継がれるすり鉢からは、母の愛と彼女の奥深いルーツが垣間見えてきた。
「我が家の味」は多様な文化のミックス
このすり鉢は、サフランをすり潰すときに使うものです。母の生まれ故郷、イランでは料理によくサフランを使うので必需品だそうです。日本のすり鉢に比べると小さいですが、意外と重たいんですよ。
小さい頃から、日曜日になると母がこれを使ってサフランライスを作ってくれました。使い込んでいるので、よく見るとすり鉢の隙間に(サフランの)黄色い色素が染み込んでいるし、匂いもかすかに移っていますね(笑)。
一緒に暮らしていた頃は、母がよくこれを使って料理をしていたのですが、ある時、私の一人暮らしの部屋に遊びに来て、「今度はメイちゃん(May J.)がこれを使ってイラン料理を作ってね」と譲ってくれました。
そのときに初めて聞いたのですが、母はこれを自分の母親、つまり私の祖母からもらったそうです。祖母はすでに他界してしまったので、その前に誰かの手元にあったかまではたどれませんが、そうやって代々母から子へとモノと味が受け継がれていくのかもしれませんね。とはいえ、1人でイラン料理を作るのもなんですし……、使ったのは母がうちに遊びにくるときくらいですが(笑)。
ペルシャ風のサフランライスの特徴は、"おこげ"です。すり潰したサフランを香り米の1種・ジャスミンライスと一緒に炊飯器で炊いた後、フライパンで焼いてわざわざ"こげ"を作るんです。おこげの香ばしさとサフランの独特のいい匂い、さらに上にかける煮込みが混じり合って、なんとも言えないおいしさです。
サフランライスは、祖母、そして母の味ですね。今も恋しくなるし、どうしても食べたい時のためにサフランは常備しています。家にあるサフランはインターネットで買いました。自分で買うようになってその高価さにビックリ(笑)。祖母が元気なうちは、よくイランの親戚から送ってくれていたので、そのありがたみに気がつきませんでしたね。
我が家のイラン料理は、ちょっと変わっていると思います。というのも、祖母はもともとロシアの、アゼルバイジャン生まれなんです。祖母はトルコ人の祖父と結婚したのですが、ロシア革命の余波でロシア人以外は国を追われたとか。家族が離れ離れになるよりはと、祖母は亡命するような形で国を出たのだそうです。
そんな背景もあって、サフランライスにかける煮込みは、私の大好物でもあるセロリをたっぷりと入れたロシアのボルシチ風。いろいろな文化がミックスされているのが、我が家の味なんです。
人やモノとの出会いが想像以上のパワーを生み出す
子どものころは母もあまり昔の話をしませんでしたし、私もまわりの子たちと変わらない生活をしていたので、自分のルーツについて考えることはほとんどありませんでした。考えるようになったのは大人になってから。3年前、ある番組で母と一緒にイランを訪ねたり、こうして取材していただいたりすることで、意識するようになりました。
自分のルーツを知るにつれ思うのは、「覚悟は運命を変える」ということ。母は若いころ建築を学んでいて、留学できる機会に恵まれたとき、世界地図を見て「形が面白い」と日本行きを決めたそうです(笑)。言葉も分からない遠く離れた外国で学ぼうなんて、すごい好奇心と行動力ですよね。留学先の大学でペルシャ語を勉強していた日本人の父と出会ったのですから、運命ってすごいなと。祖母だって、生まれた国を後にするのはすごい決意だったと思うんです。私はまだ、そこまでの覚悟をしたことはありません。
でも、それまで自分とは縁のなかった人やモノとの出会いが、想像以上のパワーを生み出すことがあると思います。私もこれまでたくさんの方々としデュエットしましたが、その度に新しい力を引き出していただきました。アルバム「Best of Duet」には、そんな素晴らしい出会いが詰まっています。
デビューして2年目で、マーチンさん(鈴木雅之)とライオネル・リッチーとダイアナ・ロスの究極のラブソング「Endless Love」(08年)を歌わせてもらったんですが、当時の私はまだ本物の愛を知るはずもなく……。レコーディング前日に亡くなった愛犬への思いを歌に精いっぱい込めて、マーチンさんの圧倒的な歌声に少しでも応えられるよう頑張ったことを今も思い出します。
T.M.Revolutionさんと「last resort」(13年)をデュエットしたときも、それまでR&Bを歌っていた私にとって、ロック系のシャウトするような歌唱を目の当たりにして「こんな歌い方もあるんだな」ってすごく新鮮でした。
かと思えば、今回新しく「めぐり逢えたら」をセルフデュエットしたんですが、いかに"他人らしく""男性っぽく"歌い分けるかとても悩みました。ちょっと声色を変えたくらいでは、ただのハモりみたいに聴こえてしまうんです。
相手の個性が強い方が互いの力をぶつけ合える分、予想を超えるような魅力的なコラボレーションになるのかなと思いますね。
買うまでに1年間考えることも
レコーディング前日になると、誰とも会わず、話もせず、ひたすら歌う曲を繰り返し聴いて過ごします。どう歌えばいいかイメージを膨らませて、「歌いたい!」という気持ちを極限まで高めるんです。レコーディングでは、熱を一気に解き放つような感覚ですね。
シンガーとして常にベストな環境で歌うため、どんな努力も惜しみたくないんです。携帯用の吸入器を常に持っていて、いつでも喉のケアができるようにしているのも、その一つです。喉に良くないとされる刺激物も極力食べません。タイ料理などの酸味や辛さは大好きですが、「喉のため」と我慢していたら食べなくても平気になりました(笑)。
でも、ストイックに無理している感覚はないんです。もともとお酒も飲まないし、夜遊びもしない。そういう(穏やかな)生活が好きなだけで、それが喉にもいいのでラッキーだなって(笑)。
悩みといえば、歌うことが好きすぎて、他に趣味がないことかも。自分のラジオ番組で趣味を見つけるコーナーがあるんです。関心はあるんですけど、どれも1度やったきりで満足してしまいます(笑)。歌だけは満足しないですね。
モノ選びは慎重なほうです。上質で長く愛用できるモノだけを時間をかけて選びます。流行のファッションはすてきだけれど、「本当に必要かな?」って考えているうちに気持ちが冷めてしまう。買うまでに1年くらい考えることもありますよ(笑)。そうやって手に入れたモノは自然と大切に使うようになりますね。
買うまでに時間をかけることもあって、私の部屋はとてもシンプルです。その中に、ペルシャじゅうたんがあります。これも祖母から譲り受けたもの。手の込んだ芸術性の高い工芸品ですから、大切に大切に使い続けたいですね。
1988年生まれ、東京都出身、神奈川県育ち。2006年にデビュー。幼少期よりピアノやオペラなどを学び、自ら作詞作曲もこなす。父の影響でペルシャ音楽もよく聴いていたそうで、「節回しが独特で習得するのが難しい。レッスンがあるならぜひ受けてみたい」。2014年日本公開の映画「アナと雪の女王」日本版主題歌を担当。同年、「NHK紅白歌合戦」に初出場した。デビュー以来、コラボレーションしてきたクリス・ハートやZeebraなど多彩なアーティストとのデュエット曲を集約したアルバム「Best of Duet」をリリース。5月からは全国ホールツアー「ME,MYSELF & OUR MUSIC」がスタートする。
(文 橘川有子、写真 中村嘉昭)
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