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村上春樹新作を読む 『騎士団長殺し』3識者に聞く

2017/3/4

 様々なモチーフが盛りだくさんの物語のわりには、作家が書き残したことが多いという読後感が残った。例えば東日本大震災については最後に出てくるだけだし、難民や排外主義など現代世界が向きあっている大きな問題は書かれていない。性的描写のセンスも含め、作家の認識と世界の実態との間のズレが大きすぎるのではないか。時代の時事風俗の書き込みを活かしてきた作者だけに、もっと今の視点がほしい。

 結局は個人が自分の中の闇と対峙するという話にとどまり、手の込んだセッティングをしたわりにはスケールの小さい物語になっている。過去の作品から先に進んだという印象はあまり受けなかった。

 「1Q84」では村上作品では初めて「祝福される妊娠」が描かれ、本作でもその主題が現れる。「保育園」というこの作家の作風とは結びつきにくいモチーフが出てきたのには驚いたが、せっかくなら「村上春樹らしい調和のとれた美しい世界」を大胆に壊すような子供を書いてほしかったと個人的には思う。

 本書にはすべての黒幕と考えられるある人物が登場する。「巨悪」を操れるような存在で、こういう人物を出したからには、作家は物語の先を書きたくなるはずだ。続編があるのではないかという気がする。そこで大きな悪が暴かれ、物語が深まれば、がぜん面白くなってくる。

■「私」の立ち位置に新境地 スラブ文学者・沼野充義さん

沼野充義さん

 大傑作だとか失敗作だとか、これまでの作品と比べてどうだとか、簡単には言いにくい。はっきり言えるのは、これまでの村上作品らしさを引き継いでさらに成熟させ、新境地を切り開いたということだ。

 村上作品を読んでいる人ならおなじみの深い穴が登場し、そこに降り立つと異世界につながるという物語世界の構造は本作にも出てくる。他にも高級車のうんちく、オペラやクラシック音楽、メルヴィルの「白鯨」など文学からの引用をファッショナブルに物語になじませる筆力はこの作家ならではのものだ。

 新しいと感じたのは主人公の「私」を画家に設定したこと。洋画と日本画の違いについての絵画論を「私」が語るのだが、これは欧米文学と日本文学の接点、つまり村上の立ち位置を表明しているように感じた。

 「私」の年齢が36歳というのも興味深い。かつて村上作品の主人公の多くはもっと若かった。離婚の危機からよりを戻し、生まれてくる子供を引き受ける大人の男女の恋愛が、落ち着いた静かな文体で書かれており、あと数年で古希を迎える村上本人の成熟に重なるように思った。

 本作は発売までその内容は明かされることはなかった。2巻で完結するかと思いきや、読み終えてみても続編が示唆される終わり方は「ねじまき鳥クロニクル」や「1Q84」と同じパターンの繰り返しで、マーケティング上の問題なのかもしれないが、文学的に意味があるのか疑問だ。

書店に積まれた村上春樹さんの新作「騎士団長殺し」を買い求める人たち(2月24日未明、東京都千代田区の三省堂書店神保町本店)

 ただ、続編はなくてもいいと個人的には思う。例えば〈プロローグ〉に登場する「顔のない男」や「白いスバル・フォレスターの男」ら抽象的な人物が何者なのかほとんど説明されない。続編が出たとしてもこうしたファンタジックな描写の意味が明かされることはないだろうし、それが村上春樹らしさでもある。副題にある「イデア」と「メタファー」という抽象的な言葉を、ペダンチックになることなく、物語として表出させたことにも関わることだ。

 政治的・社会的なコミットメントでいえば、現代への直接的な言及がないことに批判もあるかもしれない。ただナチスドイツ支配下のウィーンや南京虐殺などの昔の出来事、直近では東日本大震災に触れている。今の日本を意識しながら、村上なりの物語の仕方で現代について語っているのだと思う。

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