落語家・笑福亭たまさん もうからずとも好きな道に
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は落語家の笑福亭たまさんだ。
――実家の商売が芸名の由来だそうですね。
「もともと大阪府貝塚市で『ビリヤード辻』をやってたんで『たま』です。父はベビー用品の会社に勤めてたんですけど、私が小学校低学年のころに脱サラしてビリヤード場の経営を始めたんです。母の実家がビリヤード場で、父が学生時代に通ってました。結婚した頃は閉めてたんですけど、設備が残ってたんで再開したんですわ。母親は『ビリヤード場が嫌やからサラリーマンと結婚したのに』とぼやいてましたけど」
「父は脱サラしてプロ資格を取り、ボークラインというビリヤード競技の全国大会で何べんも優勝してました。その世界ではそこそこ名前が通ってたみたいです。けど、賞金は優勝してもせいぜい10万円とか15万円ぐらいですから、『玉突きはもうからん』とよう言うてました。ビリヤード場の売り上げと、母親が自宅の2階でやってた小さな塾の経営で暮らしてました」
――プロの選手というと厳しい印象がありますね。
「練習はずっとしてましたけど、町内ではオモロイ人で通ってました。家では『お客さんがご飯おごるわちゅうんでついてったら、ほんまに白いご飯だけやったわ』とか、その日あったアホな話をようしてました。(大阪府南部の)泉州の人間ですから、しゃべるのが好きなんですね」
「ただ、勉強については『大学に入るまで頑張ったら、20歳から60歳まで楽になる』とようゆわれました。勤めてた会社の副社長が早稲田大学卒で高給取りやったからみたいです。学歴に思い入れがあったんでしょう。まあ、その副社長も最後は会社を計画倒産させて、お金を持って逃げたと話してましたけど」
――落語家になるのには。
「ゆくゆくは会社の社長に、ぐらいの気持ちで大学に入ったんですが、3回生の時、たまたま今の師匠の笑福亭福笑の『時うどん』を聞いて、腹がよじれるぐらいわろたんです。世の中にこんな面白いもんがあるんやと。卒業後すぐに、入門志願に行きました。親はもともと『大学さえ出たら何してもええ』とゆうてたんで反対はなし。逆に『こんだけ尊敬できる人ができて、その人に直接教えてもらえるなんてめったにないで』とゆうてくれました」
――ビリヤードと落語とではずいぶん畑が違いますね。
「最近よう思うんですよ。道は違えど、親とおんなじようなことしてんねんなぁって。結局2人とも、お金やない『何か』を見つけたんでしょうね。父親は、そないもうからへんけど玉突きが好きやからやってた。私は、もうからへんのに落語をやってる。その道のしんどさを分かってるから、私にビリヤードは勧めへんかったんです。私も、子どもができても『落語家になれ』とは言いませんねえ」
[日本経済新聞夕刊2016年11月6日付]
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