落語が芸術? なんだか「モヤモヤする」立川談笑

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どうも「芸術」という言葉に引っかかるというかハードルを感じるのです。芸術とは、立派で高尚であると社会的な地位を確立した雰囲気をまとっているように思えてなりません。先物買い的な見込みも含めて、ある種のお墨付きを得るほどの質が伴わないと「芸術」を名乗るにはおこがましい。芸術様の前である。身のほどを知れ。頭が高い! 控えろ、控えろ! みたいな。

絵画ひとつとっても、芸術作品があれば芸術とは呼ばれないものもある。音楽もしかり。人の心を動かしたりという部分だけとってみれば同じようなものなのに、扱い方に違いがある。なんなんだこの違いはと、どうにも気になるのです。たとえるなら、落ち着いて深く味わうのか、気軽に味わうのか。ディナーと晩めしの違いみたいなものです。

「ご趣味は?」

「クラシック鑑賞です」

はアリ。でも、

「ご趣味は?」

「パンクロック鑑賞です」

とはあまり言いませんね。「鑑賞」の言葉の使い方がおかしいだろうと。本来なら別におかしくはないはずだけど、どうにも違和感があります。

「ご趣味は?」

「芸術作品の制作を、少々」

って、どんだけすごい作品を生み出してるんだよ!と、大げさ感は否めません。

つまり、「ありがたく鑑賞すべき芸術」と、「気軽に楽しむ芸術的なもの」とがあって、そこには格差がある。みんなの間でなんとなく違いについては共有できているけれども、明確に言葉で言い表すことはできない。おっと、この文章で最終的に答えなんかにはたどり着きませんよ。念のため。手におえるはずもありません。ぼんやりと違いを見つめてみる程度です。

立川談笑一門会で高座に上がる落語家の立川談笑さん

落語家として、そんなモヤモヤに直面することがあります。私は基本的に、落語は気楽な娯楽だと考えています。芸能である以上広い意味での芸術ではありますが、いわゆる高尚な「芸術」とはちょっと違うんじゃないかと。

そんな中、実際に高座で落語を披露するにあたって、ふとした瞬間に客席が「芸術鑑賞モード」に入るのを感じることがあるのです。たとえば日常生活で激しい失言がその場にいる全員を凍り付かせることがあるように、落語会の雰囲気もかなり流動的に変わるものです。

客席がひとたび「芸術鑑賞モード」に包まれると、途端に柔軟さがなくなり硬直します。まるで、リラックスタイムはこれで終了とばかりに、手回り品の始末を確認して、シートに座りなおして背筋を伸ばし深呼吸のひとつでもする。休み時間が終わっていよいよ授業が始まるかのような。目の前の落語をしっかり鑑賞すべく、客席全体をピリッとした緊張感が覆いつくします。

さあ、その結果どうなるか。客席は基本的にウケなくなります。我々の言葉でいうところの、客席が「重くなる」状態です。少しくらい面白いことを言っても、なかなか笑わない。それどころか客席のうちの数人が一瞬笑いかけて、慌ててその笑いをかみ殺したりしたら、もう最後です。高座の落語家が冷や汗をかきかき、誰一人クスリともしない話を、さも面白いかのようにしてみせる様子はすっかり冷えきった空気をますます凍り付かせます。ああ、書いていてもつらいこと。

そしてその肝心なキッカケとは何か。たとえばそのひとつは、静寂です。寄席や落語会では、開演直前に「二番太鼓」という曲を流します。この5分ほどの二番太鼓が「そろそろ開演ですよ~」という合図です。そのまま連続して最初の出ばやし……になってほしいのに、ここで手間取ったり妙な時間調整をする場合があって、それが静寂の時間になるのです。

この無音の時間は長くてもせいぜい1~2分程度なので、会場の舞台係さんたちは気にも留めないようです。誰かの咳払いや紙のこすれる音などが客席全体にことさらに響いて聞こえるひとときです。それでも客席を緊張させるには十分。やっと幕が開いて登場するのがまだまだ未熟な前座であることが多いので、早々に客席が完全に凍りつくことは珍しくありません。せめてその後には、バッチリと空気を暖めるアイスブレーカー役を務められる、腕のある落語家に登場してほしいところです。

「なぁに適当なこと言ってんだ、この。ちっとくれえ静まり返ったって芸術っぽい気分になんて、なるわけねえだろ。ウケる、ウケねえだけの話を大げさにしやがって」

なるほど。では逆の例をご紹介しますね。これを「芸術鑑賞モード」を積極的に強めた形といえるのが、今もTBSテレビで月イチの深夜に放送している「落語研究会」です。ご存じない方はぜひ一度ご覧ください。落語が始まってしばらくは無人で無音の高座。静寂の中に出ばやしが鳴り響いて、画面にはしっとりと出ばやしの曲名がフェードイン・フェードアウト……という。これはどうしたって「これから格調高い芸術作品をご披露しますよ」という雰囲気が高まります。

かつて下世話な大衆芸能として低く評価されがちであった落語の地位を、なんとか向上させようとした時代の人々の努力が垣間見える演出だといえます。私は出演したことはないけど、あの重い雰囲気で高座に上がったら客の空気を持ち上げるのにひと苦労しそうだなと見ていていつも考えます。まあ心配しなくても、私にはオファーは来ないでしょうけどw。

このあたり、文化の中で「笑い」を下等ととらえる発想ともからめてさらに展開できそうですが、またまた手に負えないのでここまでにしておきます。落語の高座からの景色を、ひとつ情報として提示してみたということです。いつか誰かの何かのお役に立てば。

さあ、最後は別な話でお茶を濁します。このほどノーベル文学賞として名前が挙がったボブ・ディラン。歌詞の受賞が初めてなのか。それでも「詩」に対する授賞はノーベル文学賞の姿勢として従来と変わりないはず。でも私は多くの人と一緒にモヤモヤするのです。

たぶん、「反体制」っぽいボブ・ディランがノーベル賞という堂々たる「権威」の下に位置づけられるような気がするからでしょうか。この点、かつてローリング・ストーンズのミック・ジャガーが英国王室からナイトの称号をもらったときに、キース・リチャーズが激怒したなんて逸話が思い出されます。

とはいえノーベル賞はこれまでも反体制派に平和賞や文学賞を出しているようです。ロックなのか、ロックじゃないのか、ノーベル賞。これを書いている段階で、「ノーベル賞側は本人と連絡を取れなかった、こうなったら本人からの連絡待ちだ」という報道です。本人からの受賞拒否(辞退?)もありそうだとは、きっとみんなの想像しているところだと思います。

仮に受賞するとして。あのセレモニーの会場にボブ・ディランがモーニング姿で登場するでしょうか。いやあ、しないと思うなあ。彼がお行儀よくネクタイを締めた瞬間に、その存在が何かしらの枠にはめられてしまいそうな不安がよぎります。それが「芸術」なのか「権威」なのかは分かりませんが。

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次回のテーマは、「高かった買い物」。笑二から、いってみよう!

(次回10月30日は立川笑二さんの予定です)

立川談笑(たてかわ・だんしょう) 1965年、東京都江東区で生まれる。海城高校から早稲田大学法学部へ。高校時代は柔道で体を鍛え、大学時代は六法全書で知識を蓄える。予備校講師など様々なアルバイトを経験し、93年に立川談志に入門。立川談生を名乗る。テレビの情報番組でリポーターを務めながら芸を磨く。96年に二ツ目昇進、2003年に談笑に改名。05年に真打昇進。古典落語をもとにブラックジョークを交えた改作に定評がある。十八番は「居酒屋」を改作した「イラサリマケー」など。
<今後の予定>独演会は11月7日、12月17日の予定。吉笑(二ツ目)、笑二(同)、笑坊(前座)の弟子3人とともに武蔵野公会堂(東京都武蔵野市)で開く一門会は10月28日、11月25日、12月25日の予定。
立川談笑HP http://www.danshou.jp/
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