まんじゅうより怖い! 夏の夜、公園に現れたヤバイ人
立川笑二

まくら投げ企画8周目。今回の師匠からのお題は「暑い! 暑いよ」。
私には師匠に入門してから今日までの5年間、毎日のように通っている公園がある。目的は落語の稽古だ。落語家の稽古の仕方は様々で、家にこもってやる人や、カラオケに行く人、散歩をしながら稽古している人もいるが、私の場合はいつも公園で稽古をしている。
そこは住宅街から少し外れていて大通りに面している公園なので、どんな時間帯でも大きな声が出せるというのが大きな理由だ。
初めのうちこそ公園で稽古するのが恥ずかしかったが、次第にそれにも慣れてきて、今では本番さながらの声を出して稽古することも恥ずかしいとは思わなくなっている。

ただ、私の羞恥心がなくなっていくのと反比例するかたちで、公園を利用している周りの人からの不信感が強まってきてもいる。
それもそのはず、平日の昼間から公園のベンチに座って一人で
「てめぇ! このやろう!」「いてぇ! 殴りやがったなこのやろう!」「お前達、野中の一軒家じゃねぇんだ、喧嘩(けんか)するんじゃねぇ」「大家さん! 止めねぇでくれよ!」
というのを大声でやっていたり、落語に出てくる台詞(せりふ)で覚えなくてはいけないという理由から、一日中、宗教的な文言を大声で唱えたりしているのだから仕方がない。
5年という歳月をかけて私はその公園"おなじみのヤバイ人"という立場を確立することになってしまった。
しかし、この"おなじみのヤバイ人"に絡んでくる"本当のヤバイ人"がその公園には度々現れる。特に、暑いこの時期に現れる熱にやられてしまったであろう"本当のヤバイ人"は手に負えないことが多いのだ。
今回の話は3年ほど前、私が前座だったころの、暑い夏の夜に公園に現れたヤバイ人のお話。8投目。えいっ!
その日、私は夜の落語会の前座仕事を終えた後の、22時ごろに公園へ来ていた。
翌日の落語会でやろうと思っている演目をいくつか稽古していると、公園内にギターケースを担いだ20代前半ぐらいの男性が「あああああ!」と大声を出しながら入ってきた。
私は「今年もそんな季節がやってきたか」なんて思いながらも稽古を続けていると、この男性がどんどん私のところへ近付いてくるではないか。
この人に絡まれたら終わりだ!
瞬時にそう察した私は、腹の底から大きな声で
「まんじゅうだー! 怖いよー! 誰だ! まんじゅうをこんなに持ってきたのは! 俺はまんじゅうが怖いんだよー!」
と叫びながら、エアまんじゅうを食べることにした。
ちょうどそのとき、古典落語の"まんじゅう怖い"の稽古していたのでタイミングがよかったのと、よりヤバイ人を演じれば、絡まれずにその場をしのげるのではないかという判断だった。
男性の歩みと「あああああ!」の叫び声が一瞬止まった。
勝った!
そう思った次の瞬間、男性は再び「んぁあああ!」と叫びながら私に向かって歩き出した。
負けた! そして、ものすごく怖い!
走って逃げ出したいのだけど、もし追いかけられて捕まってしまったらと考えると動けない。

しょうがないので目だけは合わすまいと、エアまんじゅうを食べながら「怖い! 怖い!」と叫び続けたが、男性の歩みは止まらない。しまいにはこの男性、私の隣に座って「あああああ!」と叫び続けるではないか。
そのうえ、隣に来たことで初めて分かったのだが男性の「ああああ!」は泣き声だった。この人、大声で泣いているのだ。
勘弁してくれよ。泣きたいのはこっちだ。そう思いながらも、私は怖がりながらエアまんじゅうを食べ続けていたのだが、一瞬、自分がおかれている状況を俯瞰(ふかん)で見てしまった。
夜中の公園でかれこれ5分近く「まんじゅうが怖い」と叫んでる男と、その横で大声を出して泣いている男。
この混沌とした状況を客観視してしまった瞬間、私はついつい笑ってしまった。
そして、笑ったことで先ほどまでのテンションに戻ることも出来なくなり、とうとう私は黙り込んでしまった。
すると、隣の男性の泣き声もどんどん小さくなっていき、泣きやんでしまったではないか。
ひょっとして私が絡まれないようにヤバイ人の振りをしていたのと同じ様に、この人もヤバイ人の振りをしていてのか? そうだとしたら、お前の目的はなんなんだ! どっちにしろヤバイ人に変わりないな。
そんなことを考えながらも、黙っているだけの私に男性が
「あの、さっきの落語っすか?」
と聞いてきた。
正直に言うと、さっきの「怖い! 怖い!」は落語ではなく本心だ。しかし、逆らうと危ない気がしたので
「そうです」
と答えると
「やっぱりそうっすか。俺、落語好きなんすよ。落語ってロックっすよね」と。
多分、ジャンルで分けるなら、落語はクラッシックだ。それでも面倒なのでとりあえず「ありがとうございます」と返したが男性の質問は止まらない。
「プロの落語家さんですか?」
「いや、明治大学の落研なんです」
私は前座のころ、公園でしゃべり掛けられるといつも明治大学の落研と言っていた。関係者の方が読んでいたら、ごめんなさいm( )m。
ちなみに今は、明治大学の落研のOBと言っている。本当にごめんなさいm( )m。
「落研なんですかー。夜まで練習して大変ですね。あっ、連絡先教えてくださいよ」
なんなんだお前は。教えたくねーよ。どっか行ってくれよ。
これはさすがに断ろうと思ったが、また大声で泣かれてはたまらないので仕方なく携帯の電話番号を教えることにした。
すると男性は「ありがとうございます! なんか元気でました! なにかあったら連絡するんで、小田桐さん(私の偽名であり、師匠の本名。心の底からごめんなさい)もいつでも連絡して下さいね! 練習がんばってください!」
と言って、帰っていった。
結局、彼がなぜ泣いていたのかわからなかったし、知りたくもないので聞かなかった。
ただ、公園から出て行く男性の後ろ姿を見ながら、そういえば「元気が出ました」という言葉を掛けていただいたのは初めてだなと思い少しだけうれしい気持ちになった。男性の電話番号はすぐに着信拒否にした。
あれから3年たつが、もちろんあの男性と会ったことは一度もない。
この暑い季節、夜の公園で稽古していると、いつかあの男性が来るのではないかとビクビクしている。
(次回7月20日は立川吉笑さんの予定です)

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