忘れられない、江の島までの自転車旅行
立川笑二
まくら投げ企画6周目。今回の師匠からのお題は「乗り物」。
去年の夏のできごと。友人の大嶋君と自転車で江の島へ行ったときのお話。6投目! えいっ!
大嶋君とは大阪でのお笑い芸人時代からの友人であり、彼が活動の拠点を東京へ移したことから頻繁に遊んでいる仲だ。
そんな大嶋君と去年の夏に居酒屋で飲んでいたとき、彼が「旅行に行きたい」と言い出した。
しかし、大嶋君はお笑い芸人としての収入とアルバイトの収入を足しても月4万円しかなく、アルバイト先に行くための交通費を私から借金しているようなやつだ。
遊ぶ暇があるなら働け!である。
それでも、どうしても旅行に行きたいという大嶋君がプレゼンしてきた旅行内容というのが、
・交通費を浮かすためにお互いの最寄り駅である高円寺駅から江の島まで自転車で行く。
・海で遊ぶのならお金はかからない。
・宿はその辺のネットカフェにでも泊まればよい。
・食費を入れても予算3000円でお釣りがくる!
という、地獄のような1泊2日プランであった。
当然、私は断ったのだが「落語家さんはおもんないのぉ」という彼から売られた謎のけんかを買ってしまうカタチとなり、私の参加が決まってしまった。
また、事前にgoogleマップで調べてみると、高円寺から江の島まで徒歩11時間という途方もない時間がかかるということがわかったのだが、大嶋君の「自転車なら徒歩の3分の1の時間で行けるで。昼すぎに着いて余裕で泳げるやん」という言葉を信用してしまったのも大きな間違いだった。
googleマップの徒歩ルートで検索すると、出発地点から目的地点まで最短距離になるよう、限りなく直線に近いルートが出るのだが、このルートに従うと階段や異様に急な上り坂、舗装されていない道まで通ることになってしまうのだ。
それを全く知らなかった我々は午前10時に高円寺駅を出発し、急な上り坂の前ではなすすべもなく自転車を押して歩き、長い階段を自転車を担ぎながら進み、「これは人様の敷地内じゃないのか?」というような道をあたかもそこの住民のような顔をしながら走り抜けるという、まさに紆余(うよ)曲折を繰り返した後に、ようやく江の島に到着した。
時計を見ると午後8時。我々は徒歩11時間のルートを、自転車に乗っていたにもかかわらず10時間も費やしてしまったのだ。休憩しながら、ほとんどの時間を自転車から降りて歩いていたのだから、そりゃそうなるはずだ。
さらに、当日は真夏日を記録した炎天下のため、休憩の度に水分補給していて、その飲料水代だけでお互い1000円近くも使っていた。
電車に乗った場合、高円寺から江ノ島まで2時間。790円で行けるのだ。
なんのために自転車に乗っていたのか分からない。本末転倒とはこのことだ。
遊泳禁止時間となってしまった海を眺めながら大嶋君が
「金のない若手時代に、自転車で無茶な旅をしたって話をするために、俺たち絶対に売れようや」
と言ったときには
「こいつをここに沈めて芸人辞めてしまおうか」
と本気で思った。
しかし、2人しかいない旅先でけんかをしても仕方がない。
我々は、明日の予定について前向きな姿勢で話し合った。
そこで出た結論が
「今日は寝て、明日は遊べるだけ遊ぼう。ただ、遊んでいる最中に"自転車が盗まれてしまったら、とっても残念だけど電車で帰ろうね"」
ということ。
そこから我々はカラオケ店で一晩明かしたのだが、お互いに"うっかり"自転車の鍵をかけるのを忘れてしまっていた。
翌朝、というか早朝5時。カラオケ店の退出時間を迎えた私たちは
「やばっ、俺、自転車に鍵かけるの忘れてた!」
「あかん!俺もや!」
と言いながら、駐輪場へと向かった。
ちゃんと自転車はそこにあった。
朝食をとるためにファミレスに入ったとき、コンビ二に寄ったとき、海で遊ぶため駅に自転車を止めたとき、毎回、私たちはうっかり自転車の鍵をかけ忘れてしまっていた。
その度に
「やばっ、俺、自転車に鍵かけるの忘れてた!」
「あかん!俺もや!」
と言いながら、駐輪場へと向かった。
毎回、自転車はそこにあった。
気づけば時刻は午後1時。高円寺まで自転車で10時間かかることを考えると、そろそろ帰らなければいけない時間なのだが、お互いに、海で遊びつかれて体力の限界を迎えていた。
我々は、なぜか、自転車で帰ることになるとは思っていなかったのだ。
しかし、自転車があるのだから仕方がない。
そのまま自転車に乗り、高円寺へ帰ることにした。
帰りは徒歩ルートではなく、随分と大回りになる自動車ルートを使うことにした。
こうなったら、往復でばかみたいに時間がかかったエピソードを作りたいという、芸人としての下心があったのだ。
結果的に高円寺に帰って来たのが午後5時。まさかの、4時間で帰ることができてしまった。
とりあえず、2人で高円寺にある銭湯に入り汗を流すことにした。
この時はお互いに、間違いなく自転車に鍵をかけていた。
体を洗うときも、湯に漬かっているときも、お互いずっと無言のままだった。
銭湯から出て、駐輪場で解散する時、大嶋君が涙目になって私に言ってきたセリフを私は生涯忘れることができないと思う。
「あれ……自転車なくなってるわ」
振り返ってみると、去年の夏に一番笑ったできごとだった。
(次回6月8日は立川吉笑さんの登場予定です)
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