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あの人が語る 思い出の味

オムライス、大人の世界へ 西川きよしさん 食の履歴書

2016/6/3

 西川きよしさんの食べ物に関する記憶は、65年前に遡る。材木商だった父のスクーターの荷台に乗って訪れた高知市の洋食屋だ。目の前に出てきた料理は、ほんわかと湯気が上がる黄色い楕円形。鮮やかな赤いラインが走り、ひときわ目を引く緑色のアクセント。5歳のきよし少年は、今もトレードマークになっている大きな目玉をひんむいて、仰天していたに違いない。それが今も大好物のオムライスとの出合いだ。

タレント。1946年高知県生まれ、69歳。自動車修理工場勤務を経て16歳でお笑いの世界へ。横山やすしさんと組んだ漫才でトップスターに。座右の銘は「小さなことからコツコツと」。 【最後の晩餐】妻の手作りのハンバーグですね。妻は京都出身なのになぜか洋食が得意で、ハンバーグなどのソースが絶品なんですわ。炊きたてのご飯と出来たての妻のハンバーグ。箸で少しつまんで、ご飯の上にのせる。肉汁やソースがちょっとしみたころ、ぱくっといきます。ああ、もうたまりませんわ。 写真=大岡 敦

 初めての洋食。オムライスはもちろん、ケチャップもグリーンピースも見たことがなかった。「さあ、食べてみい」と父に促され、恐る恐る銀色のスプーンを入れると、目に飛び込んできたのは、鮮やかなオレンジ色のご飯。赤飯は見たことがあったが、明らかに色合いが違う。ひとすくいして口に運ぶと、たちまち大人の世界に誘(いざな)われた。

■16歳で芸の道へ

 食後に飲んだミルクセーキも衝撃だった。ストローを使ったのも初めて。あのオムライスとミルクセーキとの出合いは、昨日のことのように覚えている。

 きよし少年にとって、夢の空間だった洋食屋だが、その後、訪れる機会は二度となかった。父の商売が左前になり、一家7人は大阪市へ転居した。生活は楽ではなく、小学生のきよし少年も、新聞配達や牛乳配達をして家計を助けた。高校進学を諦め、自動車修理工場に就職した。そのころずっと頭の中にあったのは、「いつかお金持ちになって、家族みんなでまた、オムライスを食べられるようになってやる」。

 修理工場では最年少。お昼休みに車座になってだべっていると、雑談に飽きた先輩たちが「西川、何かやってみろ」。当時の芸人のものまねをやってみると、けっこう受けた。「お前、なかなかおもろいなあ」と言われるうちに、その気になった。

 芸の道を志し、喜劇俳優、石井均師匠の弟子になったのが16歳の春。兄弟子の世話や雑用に追われる毎日だったがある日、師匠に呼ばれた。「西川、わしの下におってもチャンスはないで。吉本に行け」。伝説の漫才師、横山エンタツ師匠とコンビを組んだ杉浦エノスケ師匠と石井師匠が友人だった縁で、吉本に入った。

■10円のパンの耳

 なんば花月で通行人などの端役の傍ら、藤田まことさんと並ぶスターだった白木みのるさんの付き人になった。舞台が終わると白木さんたちは食事に行く。吉兆、なだ万、竹葉亭……。スターになると、こんなにも違うものなのかと、またまた目玉をひんむく日々だった。うれしかったのは、体が小さい白木さんは料理を食べきれず、「あとはきよし、食えや」。いつか売れて、自分のカネでこんな料亭に来てやると思った。

 吉本の看板女優だったヘレン杉本さんと結婚したのが21歳の時。まだ売れる前で、新婚生活は大阪市西成区の古いアパートで始まった。転がり込んできたのが親友の坂田利夫さんだ。当然、カネはない。洋食好きのきよしさんのために、ヘレン夫人はハンバーグを作るが、肉は買えないので、おからのハンバーグだった。それでも夫人特製のソースが絶品で、坂田さんと2人、うまいうまいと争うように箸を伸ばした。

 お金がなければ、ないなりに工夫をする。それがきよしさんの食の哲学だ。小学生の時、近所のパン屋が食パンの耳を豚のエサにしていると聞き、新聞配達の終わった早朝、交渉に行った。大きな風呂敷いっぱいのパンの耳を10円で売ってもらった。焼きたてだから耳も温かくやわらかい。兄や姉たちと砂糖をまぶして食べた。母は味噌汁のダシを取った小魚の頭と腹をきれいに取り、フライパンで煮詰めておかずにした。

■やすしさんとフグ

 貧しくても、知恵をしぼり、工夫をして、乗り切る。少年時代や売れない芸人時代、そんな経験を重ねてきたからこそ、おいしいものを食べることが、仕事のエンジンになった。長く漫才の相方だった横山やすしさんとの食の思い出は、今だから話せる、ちょっとした秘話だ。好みが違うので、仕事の後、一緒に食事に行くことは少なかった。唯一、嗜好が一致したのがフグだった。

 なんば花月の昼の舞台が終わり、夜の出番まで間があると、「キー坊、ちょっと行こか」と声が掛かる。2人が向かうのは花月の裏手にある太政というフグの店だ。ビールはもちろん、ひれ酒をがんがん飲んだ。2人とも、いくら飲んでもまったく顔に出なかった。

 ちょっと飲み過ぎたかなと思う時の方が、漫才は調子が良かった。20分の持ち時間のところ40分くらいやって、後の新喜劇が大幅に遅れるのは、ざらだった。

 まもなく70歳になる。振り返ってしみじみ思うのは、「自分が食べたいと思うものを、選んで食べられるようになるなんて、夢にも思わなかった」。だから、残すなんてありえない。こういう話を子供たちにしても、ぽかーんとされるだけ。それがちょっと口惜しい。

■夫人のハンバーグ

BANZAI CAFEの「ヘレンのハンバーグ」(大阪府箕面市)

 年を重ねると、和食志向が強まるというが、きよしさんの場合、70歳を前にして、ますます洋食好きが高じている。最近はまっているのがパスタだ。長男の妻が作るパスタが絶品で、よくリクエストする。オムライスのほか、ハンバーグは週1回、必ず食べている。

 きよしさんがこよなく愛するヘレン夫人のハンバーグを味わえるのが大阪府箕面市にある「BANZAI CAFE」(電話072・728・7333)だ。きよしさんとヘレン夫人の娘、かの子さんが経営する。

 写真の「ヘレンのハンバーグ」は一日限定50食、来店客の大半はこれを頼む。「私の母親でも食べられるように作った」(ヘレン夫人)ハンバーグはふんわりとやわらかく、それでいて肉の味がしっかり伝わる逸品だ。煮物やおひたしの小鉢、ぬか漬けも手作り。ヘレン夫人とかの子さんが店に顔を出すことも多い。

(編集委員 鈴木亮)

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